嫌われたくないから我慢する
ラミーは元々野良猫であったが、夫婦と犬の「らぴ」が暮らす家にもらわれてきた。らぴは本当の子供だが自分はそうではない、という思いから万事控えめにしている。大雪の日。雪かきに出ようとするお父さんを見て、自分も連れていけと騒ぐらぴの横で、行きたいのを我慢しているラミーに平蔵が声をかけるシーンである。
「嫌われないためなら なんでも我慢できる」。ああ・・・わかる。でも、それではいけないらしい。
なぜ我慢すると飽きられるのか。さっぱりわからなかった。この本によると、
自分の意見を自分の意思で伝えないと相手はあなたのことがよくわからなくなり、わからない相手にいつまでも関心を抱くことはできないので無関心になる、という。そして恋愛感情とは自分とは異なる意見、異なる意思に気持ちが揺さぶられてこそ生じるのだ、というのだが、今ひとつ釈然としない。しかし。
ゾンビ!! この比喩の衝撃で、私の中で何かがつながって腑に落ちた。なるほど猫なら、あるいは人間でも目の保養になるような可愛い子ならいざ知らず、普通の女がいつまでも遠慮していると、飽きられることはあっても可愛いがられることはなさそうだ。とはいえ、遠慮の殻を脱ぐことは決して簡単ではない。
様子を見に来た平蔵は「元・野良の拾われ猫だからなあ・・しかしあれでは・・」(「夜廻り猫」60) と気をもみ、「おまいさんも仲間に入れ」(「夜廻り猫」80)などとアドバイスする。お母さんは女同士だけに「ラミーはいつまでも遠慮してるわねえ」(「夜廻り猫」189)と察してくれるし、お父さんも「呼べば来るんだ。呼べばいいよ。いつまででも」(「夜廻り猫」189)と懐の深いところを見せる。ここまで役者が揃っていることは滅多にないだろう。それでもラミーはつぶやく。
(2018.7)