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まだ決心する時期ではない

「エイッ!と力を入れないと決心がつかないうちは、辞める時に至っていないと思うの。機が熟すると、古い葉っぱがポロッと落ちるように、何の力も入れずに決心がつくものよ。その時まで待つの」

内舘牧子「アマリリス」(『ある夜のダリア』)

これは、内舘氏が「退職すべきかどうか悩んでいる人たち」に必ず言う台詞だという。退職云々ほど大きな問題でなくても、始めたいことがあるが決心がつかないとか、どちらにすればよいか決められないとかいう程度のことなら、誰しも思い当たる節があるだろう。そういう時は、決められないことよりも、決められないままの状態が辛かったりする。かといって、迷っている状態に耐えられず自分で締切を作って決断したところで、正しい(自分の気持ちに沿う)選択ができるとは限らない。ちょっとした品物でさえ、時間に追われて選ぶと失敗することがある。時間があるのなら強引に決断することはない。

決められないのではなく、決める時期が来ていないのかもしれない。待つ、という決め方もある。決められない自分を持て余したり悲しんだりする必要はない。私たちは自分が考えて決断を下すと思っているが、「何の力も入れずに」といわれるように、本当に決めるのは自分では、少なくとも自分の意思ではないのかもしれない。

ところで、AとBのどちらをとるべきかという問題については、「迷う時はどっちを取っても間違い」という説がある。あちこちでこの説を提唱しておられる西原理恵子氏の子育てマンガには、

息子「高校生になったら何かやろうと思ってんだ」「部活と留学どっちがいいかな」
母「おかーさんねー今までのケーケンだとねー」「迷ってる時はどっちとっても間違いだねー」「あん時、お父さんと結婚してなかったらもっとひどいのとくっついてたと思うしー」
息子「くえええ」 

西原理恵子『毎日かあさん』

というシーンが登場する。(2019.10)

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