男は女の話を聞いていない
ともさかりえの「西原さんのお話をうかがっていると、母親業がとっても楽しそうに感じるんですが、醍醐味みたいなものって何ですか」という問いに対し、予想だにしないことを始めるので笑いどころ満載だ、と答えた後に続く部分。
「これまでわかっていなかったのだ」ということは、「わかった」時に初めてわかる。男の人と付き合ったり一緒に暮らしたりしてもわからなかった「男の本質」が、男の子を育てて初めてわかるとは・・。だとすれば、男の子を育てた母親にかなうわけがない。
恋敵が誰かの母親であるケースは一般的ではないにしても、男きょうだいのいる女の子はそうでない女の子にとって強敵になりうる。男の子を育てる現場に居合わせることで、恋愛の基礎体力のようなものが培われている可能性があるからだ。同書では別の相手(マンガ家伊藤理彩)との対談で、次のようなエピソードが語られている。
こんな兄弟を見ながら成長すれば、女の感覚では信じられないような言動が、例えば自分のことをどうでもいいと思っているからなのか、男だからというだけで深い意味はないのか、おおよそ見当がつくだろう。その区別がつかないせいで深読みして悩み、二人の仲がおかしくなる、というパターンに陥らなくて済むのである。
不運にして男きょうだいがいない場合。私たちは、よその国の人が土足で家に上がろうとしても、風俗習慣が違うから、と(止めはするが)大目に見ることが出来る。彼らの習慣を全て知らなくても、である。「男の本質」がわからなくても、いや、わからないからこそ、男と女は人種が違う、ということを叩き込まなければならない。男の人の不可解な言動に悲しんだり傷ついたりしている場合ではない。 (2017. 5)