自分語りはウザいのか?
こんにちは、MOJIKARA研究所の本田蒼風です。
今日は「自分語りはウザいのか?」について考えてみたことを書きたいと思います。
突然ですが、皆さん、正直「自分語り」って聞いたら、どういうイメージ?
ちょっと「ウザい」「面倒くさい」って思っちゃったりしない?(笑)
または「私は苦手だな」って思う人もいるのかな?
先日あるインフルエンサーさんが音声配信で「インフルエンサーになるのに自分語りは不必要です。誰もアナタに興味ありませんから。(笑)そこはもう割り切っていきましょうよ。」っていう感じの配信をされていたことに対して「えっ?本当にそうなのかしら?」と聞いていてちょっと気になったので自分なりに考えてみました。
インフルエンサーになるには「自分語り不要」。必要なのは相手が欲しい情報を届け続けること
その配信をされていた方は、まさにインフルエンサービジネスを成功されている方です。日頃から知って得する情報を様々な媒体でジャンジャン発信されています。フォロアー数は10万人以上(すっごっ!)
常に引きこもり気味な私からしたら、自分のことを人生の中の一度でも気にとめた人が世の中に10万人いるってのが驚きです。どんな感覚なのかな?
そんな多くのフォロアーさんがいる方が
「自分なんかに誰も興味はありゃしません。皆んな、なんでか自分を語りたがるんですよね〜。でもだれも聞きたかないですよ。僕が何故フォロアー数多いかというと、それはその人にとって有益な情報を与えてくれる人だからです、自分がどうのこうのっていう情報は意味ないです。だからこそ割り切って「みんなが欲している情報は何なのか」をひたすら考えて発信していくことが出来れば、フォロアー数は伸びていきます」…とのこと。
なるほど、なるほど。
確かに必要とされるニーズをしっかり捉えられて、発信されていたら、即効性があるし、助かる人がいるでしょうね。
私もお役立ち情報がまとまったサイトがあるおかげで助かること多々あるし。
でも・・・
その話を聞いて私の中で2つの引っ掛かりがありました。
1.有益な情報をバンバン与えてくれる存在って嬉しいようだけど・・・
これって私の性格的なことも関係しているかもしれませんが、何につけても「有用と言われているもの」や「答え」を先回りして教えようとしてくる人って、結構「ありがた迷惑だな…」と感じることが度々あります。
AIが先回って提供してくる「こんなん好きじゃないですか?」的なのも、正直やめていただきたい。(笑)
映画のネタバレをしてくる人に出逢ってしまった感覚に近いのよ。
「いやいや、知りたいよ。知りたいけれどもさ、そこにたどり着くまでの過程も楽しみたいのよ、私。それなのに答え的なの聞いちゃったら、そっちにひっぱられちゃうやん!」っていう心理です。
現代の私たちは常に情報の大海をさまよっているような状態です。
だからこそ、お役立ち情報や、探していることの答えを言ってくれるようなものは、時として多くの中から手っ取り早く必要な情報にたどり着けて大変助かるということは間違いない。
でもその一方で、こんな情報の大海でありながら、自分で調べようと思ったりトライしようと思えば色々なことのハードルがジャンジャン低くなっていってる世の中だからこそ、自分自身が「楽しみながらサバイブする知恵を身につけてみたい!」という気持ちもある。
四方を情報に囲まれた中から「自分は今これが知りたい!」という自分自身のアンテナを頼りに、ピンポイントな情報に辿り着けるようスリルを楽しみながら、ヒントを手繰り寄せ、少しずつ見えてくる目的地をめざし一歩一歩答えを探しに行く・・・。
は~この世はまるでインディージョーンズの世界観そのまんま!
全然予想もしていなかった方面から、ドンピシャな情報や考え方のヒントに出会ったときの快感ったら、ね〜。もう奇跡っ!とか思っちゃいます。
そんな気分で楽しんでいるときに横から「あっ、この宝の隠してある場所へは飛行機で2時間くらいで行けるから。チケットは〇〇で購入するのがお得だよ」とか言われたら「えーーーー!」ってなりますよね?!
お役立ち情報、欲しい情報に一気に近づけたら気分は爽快かもしれないけど、脱線して集まっちゃう情報たちや、その過程で広がる「自分ならではの思考」をすっとばしちゃう感じがして、残念だな~と感じます。
以前、社会派ブロガーのちきりんさんが音声配信で「誰かが発信した情報に「いいね!」とか、または逆に「それは違うと思う」という書き込みをしてくる人がいるけど、これは「その人の意見や思考」じゃなくてただの「反応」です。
自分が取りに行った情報で、答えを導き出すまでの過程があってこそ、自分の意見、思考を使って見つけた「答え」になるので、反応ばかりをして「自分の意見や思考が深まっている」って誤解しちゃっている人はお気をつけを・・・
という主旨のお話をされていて、なるほどな〜と思いました。
自分が求めている情報を手軽にジャンジャン浴びるのって、気づかぬうちに「反応」をして満足することが多くなっちゃう可能性があるなってところが、私が一番気になった点なのかもしれません。
実はもっと自分が知りたいポイントとか、気になるポイントとか、自分なりの発見みたいなのが情報を探している過程であるかもしれないのに、ぱっと必要な情報を提供してくれるものに飛びつく癖が着いちゃうと、「これでよし!」ってなっちゃって、自分が関与できる機会を失っちゃう気がする。
物知り博士の究極の形は、現代でいうとGoogle先生やAIによって集められている情報たちだろうから、そこは機械におまかせして、全然結びつかなそうなところから答えにたどり着くスリルや体験をした人の話って絶対楽しそうじゃない?
みなさんは、どう?
2.「いやいや誰かをフォローする意味って、自分以外の誰かに見えてる世界を見てみたいからってところだと思ってたわ」問題
今回この方の配信を聴いていて、「待てよ。そもそも私は誰かをフォローする目的自体が違っているのかもしれない」と思ったのです。
私が誰かをフォローして、その人の発信を見たいと思う理由は一つ。
自分に見えていない(気づいていなかった)世界が、この人には見えているんだな~と想像すると何だかワクワクするから
です。
先ほど書きましたように、私は「情報ハンティング」は自分で楽しんでしたいのです。
でも一律の情報として扱えないものがありますよね。
それが「その人視点で語られる世界たち」です。
私たちって、一生涯、自分に見える世界の中でしか生きていけませんよね。
同じように見えていると思っている世界は、隣の誰かにとっては全然違って見えている可能性だらけです。っていうか、そうだと思います。
私たちが誰一人「全く同じ感覚」を持つ人自体が存在しないんですから。
他の人が生きている世界と全く同じ世界を生きることはできないとしても、どんな風に見えてるのか、感じられる世界にいるのか、ちらっとのぞき見させてもらえるならば、覗かせて頂戴って!
そう、のぞき魔的心理です。ヤバイヤバイ(笑)
なので、「自分語り」してもらえないんじゃフォローする意味ないじゃん!
是非「私、こう思うんですけど…」「私の場合はってことなんですけど・・・」というアナタならではの語りを聞かせてくれ!と思うのです。
「自分語り」と聞くと、なぜちょっと「ウザい」と感じるのか?
「自分語り」は「自分は・・」からはじまる話だと思うのですが、先ほど書いたように、私としては是非「私は・・・」を主語にした話を聞いてみたい。
でもそう思う一方で、時々私たちが誰かの「自分語り」と聞いて、何だか瞬間的に「面倒くさっ!」とか「ちょっとウザい」と反応してしまうのはどうしてなのか?
実はその語りって「本当にその人が主語になっている語り」ではなくて、「その人の周りにあるものや状況」を主語にして語っちゃっている場合なんじゃないかと思うのです。
たとえば「僕、フェラーリに乗ってるんですよ〜。」だけだと聞いている側も反応しづらい。(えっ?・・・す、すごいですねとか言ったほうがいい系のやつかな?)
この場合は「僕、・・・」で始めているけど、相手に聞いてほしいのは「フェラーリに乗っている人」という情報。自分語りの主語が「僕」のようでいて、「フェラーリにのっている人」というもっと広い範囲の対象が主語になっちゃってる感じ。
これが例えば「僕、フェラーリに乗ってるんですよ。なんせ僕、「フェ」の音が大好きで・・・だからベンツじゃだめなんですよ。
「フェ」
は〜めちゃくちゃいいわ〜。パ・・フェ、フェ・・ンネル、フェ・・イスブック・・・。痺れますよね〜」
ってなったら、「自分語り」されても猛烈に面白くないですか?
「フェラーリに乗っている人」っていう事実は変わらないんだけど、なんでフェラーリに乗っているのか・・・っていうところに強烈に語っている「本人の思考」が見えちゃってると、その理由を語っている「人」がちゃんと主語になるから面白さが違ってくる。
「フェ」に痺れる心理は正直いってわからないけど(笑)「人それぞれ痺れるポイントがあるよな〜」って感じで、自分のことにも当てはめて考えられるようになったりして、聞いていても楽しい。
つまり「自分語り」をウザくしないコツは、一度「自分」っていうフィルターを通した情報を語ること。
まあ、これって結構勇気いることだったりはするんですけどね。
さっきの場合みたいに「へ〜全然その感覚わからないわ〜」って言われちゃう可能性もあるから。(笑)
でもわからなくて当たり前よ。だってアナタと私は違うもの。(キリっ!)
自分語りが苦手だったり下手な人が多い日本という国
何となくですが、日本人って、特に自分語りに苦手意識があったり、ウザめな自分語りが多くなりがちな人が多いような気がします。
先日英語にパッションのある方が「英語の場合、私は・・・。なぜなら・・・っていう構文、めちゃくちゃよく使うんですよ」とお話されていました。
いわゆる自分の意見(結果)を一番先にいっちゃって、その後そこに至った理由を並べていくっていう文章の構成方法ですね。
さらに英語の場合、つねに主格(主語)が明確になっていないと文章をつくれないっていう言語。
それに対して、日本語って主語を入れなくても全体の雰囲気とかで伝えることができちゃったり、話の途中で主格(語りの中心人物)が変わっていっちゃう・・・なんてことも起こりうる言語的な特性があるんですよね。
(ちなみに私、この話を音声配信でお話したら、さらに面白い視点で記事を書いてくださった方がいるので、リンクはっておきますね。
安達ロベルトさん https://note.com/robertadachi/n/n0cc4ea9cdf9a)
母国語の特性って、あんまりにも普通に身に着けすぎていて自分の考え方とか話し方にどれほど影響を与えているかって意識する機会少なかったりするんですが、私たち人間って思考するとき、必ず言葉で考えますからね。
知らずしらずのうちに多大なる影響を受けちゃってるんですよね、きっと。
だから普段から「自分」をメインに置かずに、自分の周りの雰囲気全体の感じで伝えるってことをする機会が多い日本人にとって、「自分語り」は普段やり慣れないことをやる感じがあるのかもしれません。
自分に「自信がある、無し」に関わらずね。
ただ、その代わり全体のバランスを考えてちょうどいい塩梅を見つけるみたいな感覚は、主語が常に明確な言語特徴の国よりも得意とするところだったりする。和を以て尊しと為す精神です!
今書店でも「自分の頭で考えよう!」とか「思考力」みたいな本が大量に発売されているのは、そういった本当の意味での「自分語り」のための心得的な内容がほとんどです。
それは近年、じゃんじゃん「個人を発信すること」が簡単になってきて、個人の見解の違いこそが価値になってきているっていう流れを受けたものなんですよね。
一般論より、超個人的な「自分語り」が新しい価値になってくるという時代。
「自分語り」が苦手だな〜。うざくなったらどうしよう・・・と思う方は、単純に日本に生まれたから、言語特性上、日々自分を中心に語るっていう練習回数が少なかったっていうだけかもしれません。
思考の仕方ってのは、練習すれば育てられるもんです。
だったら、まずは漢字一文字選んどこっ!
っていうところまで語って、
MOJIKARA研究所的観点を無理やり押し込んでいきますが・・・
研究所からおすすめしている「今の自分に合う漢字一文字を選ぶモジカラメソッド」はまさに「自分語り」の練習に最適なんですよ。
自分の今の気持ち、感情を確認するために、感覚的にピンとくる漢字一文字選んで「自分を整える」(流行の言葉を使ってみたくて使ってみる40歳)という方法なんですけどね、
まず漢字一文字選ぶでしょ?
で、「私はこの文字選びました。なんでかというと・・・」
ほらっ!英語みたいに自動的に主語が「自分」になっちゃう〜。
そりゃ当たり前っちゃ当たり前。
だってその文字選んだの自分ですもの。
でもね、こんな単純なことでも、やってみると結構驚きがあるんです。
いつでも、どちらかといえば周りの状況を考えた上で発言をしたり行動の判断をするのが(先程もいったように言語構造的にもね)慣れた私たち日本人にとって、自分を中心に選択すること、自分を起点に話すことって、ちょっと訓練が必要なことだったりするんです。
でも大丈夫。慣れです、慣れ。
私、最近まで「自分はとっても頭の中の言語化をするのが苦手な人」だと思っていたんですよね。
でもここ最近出会う人、出会う人に「めちゃくちゃ言語化得意だよね、蒼風さん」って言われる機会が増えて、自分でもびっくりしているところ。
なんでだろう・・・昔は自分のこと語るのとか、自分の意見を言葉にするのってすっごく苦手だったのに・・・。だから言葉にできない感覚を書やアート作品で表現するってことを続けてきたと思っていたのだけど・・・。
でね、色々と自分の過去をさかのぼって考えてみたらわかったのよ。
自分語りができるようになった要因が!
自分語り(自分のフィルターを通して言葉で表現すること)が苦手だと思ってアート表現で「想いよ、伝われっ!」みたいな感じで作品を世に送り出してきたんだけど、そのたびに題材となる「文字」を選んで、展覧会とか出会う人に「私が今回、この文字を題材に選んだのは・・・」っていうのをやり続けてきたからなんですよ。
つまりさっき紹介したモヂカラメソッドを常にやり続けていたら、いつの間にか、色々な場面で自分のフィルター通した言葉で伝えることも得意になってたって話。
意図せずしてラッキー!!!笑
なので、是非オススメしたいのです。
元手もかからずww、今この瞬間から「ウザくない自分語り」をできるための練習は始められるのよ、漢字一つ選ぶだけでね。
是非文字が選べたら、コメント欄に書いてくださいね。
私はあなたが何故その文字を選んだか聞きたいから。
そう、あなたがあなたを主語にして話す「自分語り」をね。
サポートをしてくださろうとご検討中の貴方はもはや「神」。