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あえて放置を熟成と考える

おはようございます、本田蒼風です。
今日も音声配信を収録しようと思って、昨日の夜から色々と考えてみましたが、大して心にピンとくることが無い。

そんなとき、以前の(っていってもつい最近までの)自分だったら、

「いや、そんなはずはない!何かしら新しい発見はあるはずだ。よ~し、視点を変えてみよう」

とか色々と捻りだす方向に力を向けていたと思うのですが、
ここ最近は、

「まあ、そんな日もあるさ。ここであえて捻りださずに放置することは、熟成させているっていう風にも考えられるし。」

と無理に何かしらの結論をその時点では導き出さないで素通りする…って技を身につけたのでした。

私は北海道出身の道産子ですが、
大阪の方の気質として言われるような「せっかくやるなら元取れ根性!」みたいな前のめり気味なところが多分にあり、
どんなことからも「自分に起こるすべてのことには、何かしら今までの自分にはなかった新しい視点や気づきが散りばめられている気がする!!それに気づかにゃ損、損っ!」くらいに思って

いつでも目を皿のようにして、それを見つけようとしていました。

それはそれで面白いんですよね。
確かに意識すればやっぱり色々と発見があって、
それが次の原動力に繋がるときも結構な確率であったりして。

でも、ふと気になったはずなのに、
その先に進もうと思っても、大して何も閃かない、浮かばない。

そんなときもある。

そんなときは
「まあ、そんな時もあるか。」

って一回肩の力を抜いて、そのことを私の脇に放置してみる。

そうすると、その場で体感できる「獲得の楽しみ」は少ないものの、
熟成(または何にも起こらない可能性も含む)を楽しむ感覚が出てきて、
これはこれで楽しいなと思いました。

自分の気持ちに合わせて次に自分がとる行動を選択していく。

その時の「自分」がどうしたいか、
そこを大切にくみ取る作業という点では、
どちらも変わりませんね。

今日は放置を熟成と捉えることにしました。

今日もありのままの自分で素敵な一日を。

MOJIKARA研究所、本田蒼風でした。

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本田蒼風作 「陽」


#あえて放置
#熟成期間
#自分軸

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