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皆んな、どっこい生きてる_久しぶりに映画スタンド・バイ・ミーを観た感想

こんにちは、本田蒼風です。
先週でしたか、TVの金曜ロードショーで映画スタンド・バイ・ミーが放映されていたようですね。見逃した私はアマゾンプライムで見つけて観ました。
(映画の概要に関してはリンク貼っておきますので、ここでは割愛させていただきます)

最初に観たのは小学生中学年くらいの頃だったように思います。
その時の印象は、「秘密基地的なツリーハウスいいな〜」ってことと、身体にヒルがくっついた場面が衝撃過ぎて、本編の中心である死体を見る場面とかもはや一切印象に残ってない・・・くらいの感じでした。😨
(ヒルって生き物の存在を映画で初めて知った。怖い、あのヒルのあのサイズ感も超怖い・・・ガクガクブルブル😱)
そしてその頃の私には「青春」を考えるのには早すぎたのか、深い内容に関しては全然考えもしないままでした。

そして、今回判明した衝撃の事実が・・・!!
スタンド・バイ・ミーに出会ったのとほぼ同時期に知り、大好きになった映画に「グーニーズ」があったのですが、本当にお粗末な話、私の中でこの2つの映画、出ている俳優さんが被っているからか、私の記憶の中で混ざっていることに気が付きました😱何たる雑な記憶力。
映画好きな方がいたら呆れられるでしょうね・・・とほほ。

中学生になって吹奏楽部でコントラバスを担当していたとき、スタンド・バイ・ミーの曲のはじめ部分を演奏できるようになって、ちょっといい気になっていた自分を思い出します。(笑)

そんな私😂が
今回改めてスタンド・バイ・ミーを観て感じた一番の印象は

「皆んな、それぞれの人生をどっこい生きていくんだよな」

という感想でした。

えっ?!どっこい生きてる・・・って、ど根性ガエルのぴょん吉様?😂

そう、今回私の中で観終わったときの一番最初にふと頭に浮かんだ感想が「どっこい生きていく」というフレーズだったのです。

ちなみに私が「どっこい生きる」という言葉にもっているイメージは、どんな状況でもその人なりに懸命に(ときには必死に)生きていく・・・というイメージです。

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主人公4人は、色々と複雑な家庭環境であったり、個性がかなり違った4人組なんですが、それぞれに辛さを抱えながらも、友人と遊ぶことで紛らわせたり、時々感情が溢れちゃったりしながらも懸命に子供時代を生きています。

そして互いが何となく支えたり、理解し合う関係を作りながらも、気がつけば自然解散し、その時間は大人になる過程の「ある一時期」くらいの意味になっていく。

どんなにそのタイミングでは「この繋がりは一生モノ!」とか感じていても、関係性はそのままをキープし続けることはなくて、流動的に変化していく。
我が身に起こってきた人間関係を思い出しながら、全くその通りだな〜と、今回妙に納得したポイントでした。

その時点での人との繋がりの濃さや彩りが、月日が流れるごとに少し薄まったり、違う彩りに感じられる。
事実としては変わっていないのに、自分自身の体感が違ってくるという感覚です。

年を重ねるごとに変化するものとして、似たところでいうと「一年の重みと過ぎ去る早さ」っていうのがあると思うのですが、以前友人が「なぜ人は年を重ねるごとに1年が早くすぎるように感じるのか?」という理由について、「ほほ〜なるほど」と思う説明をしてくれたことがありました。

「年を重ねると1年が妙に早く感じるようになるってのは、毎年分母が増えていくから、1年の重みが違って感じてくるってことなんじゃないかね?」と。

なるほど。

5歳にとっての一年は5分の1。

40歳の私にとっての1年は40分の1。

同じ1年でも、何となく分母が大きくなっていって1年の重さが軽くなるような感覚は、確かにここから起こってくるのかもしれません。
1の重みは軽く、そして早く過ぎ去っているように感じる。
少し寂しい気もするけど、年を重ねるごとに「全体の流れの中の1」っていう人生のうねりみたいなものを体感できるようにもなっていく感覚がプラスされたりもして、それは年を重ねる楽しさではあるな〜という気がしますが・・・

おっと、話がちょっとそれました。

最終的に主人公の4人たちは、それぞれ夢に思っていたことを叶える人もいれば、方向転換をした人もいて、全然別々の人生を歩んで行きます。
主人公4人の中の1人の少年の夢は将来小説家になること。
でも色々な状況が重なり自分の夢を願う心に蓋をし、夢を目指すこと自体を諦めそうになっていたところを、友人の1人に「きっと君はいい小説家になるから、諦めずに頑張ってみろよ。ネタに困ったら、俺達のこの思い出をネタにすればいい」と背中を押され、言われた通り小説家になります。

そして大人になり小説家になった少年は友人たちと過ごしたこの貴重な日を思い出し、大切に扱い、小説として書き起こしていきます。
でも小説では少しどこかで大人になった「現在」の自分の都合のいいように少しずつ過去の出来事を頭の中で書き換えながら・・・

そう、「人の記憶」ってそういうもんなんです。

過去の事実は変わらないけど、過去の事実に対する自分の記憶を、現在の自分が納得いくように書き換えることができる

きっと、みんなそうやって「現在の自分が少しでも納得できるように」、過去の記憶を自分の中で昇華させながら生きていってる。
「日々をどっこい生きていくための糧」に変えていくものなんですよね。

記憶をそのまま保存しておくことも美しいことかもしれないけど、
現在の自分を何とかして幸せにしていくために、自分の中で「都合のいいように」(というと語弊があるかもしれないけれど)書き換えていくことは、決して悪ではなくて、きっとそれが「生きていく」ってことなんだろうな〜と・・そんなことを考えたのでした。

過去に私が出会い、その時期を一緒に楽しんで、その後自然解散するように会わなくなった友人たちも、きっと今どこかで私と過ごした時間を、少しずつ自分に良きように書き換えながら、それを糧に各々がそれぞれの人生を「どっこい生きている」んだろうな。

私がそうであるように・・・。

私事ですが最近何だか(原因はわからないのですが)悟りの境地なのか?という心境になることが多々ありまして😂「1人ひとりが、その人なりにこの世界で生きていてくれること自体が何と愛おしいことだろうか」と感じるのです。

あれ?
私、もうそろそろ袈裟とか着るようになる系?😂

今まで私と出会ってくれた人たちが、どんな状況であれ、世界のどこかで今日も「どっこい生きて」いてほしいな〜。

そう心から願って映画を観終えたのでありました。
皆さんはこの映画観て、何を思うのかな?


今日も一日、どっこい生きていくよ、私も!


皆さんにとって今日も素敵な一日になりますように・・・

したっけね😁

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ちなみに私の大好きなヲタキング岡田斗司夫さんがYou Tubeでスタンド・バイ・ミーの解説をしている動画もとても興味深かったので、リンク貼っておきます。(映画創作論とか素人の私にはものすごく面白い観点です)

#映画
#スタンド・バイ・ミー
#過去の記憶
#生きる糧

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