弁論大会
私が通った中学校では、
弁論大会なるものが開催された。
各々が作文を書き、クラス内で発表。
クラス毎に代表を決め、各代表が体育館のステージ上で、学年全員の前でその作文を読み上げる、と言う催しだ。
中学1年生、中学校生活にようやく慣れてきた頃、季節は初夏だったと思う。
私の書いた作文は、クラスの代表に選ばれた。
びっくりした。
そんなたいそうなものではなかったからだ。
タイトルは、
「友達」。
今思い返すと、
その純真さが恥ずかしい。
書き出しはこうだ。
「6年生の春、」
内容をざっくり説明すると、
6年生のクラス替えでそれまで仲の良かった友達と別々になってしまいすごく心細い思いをしたけど、修学旅行の班組みで誘ってくれたことをきっかけに、仲良くなった友達がいるよ、卑屈になって自分から声をかけることもできなかったこんな私に友達は歩み寄ってくれたよ、その友達に救われたよー、的な。
至ってシンプルなものだ。
弁論と言うには少々物足りない気がする。
作文を残していないので、何がそんなに皆の心に響いてくれたのか謎だけれど。
詳細を覚えていないが、
学年内で順位がついたんだか何だったか、
表彰してもらった記憶がある。
母は、その作文を遠くに暮らす祖父母に送っていたのではなかったか。
だとすれば、私の作文は祖父母、恐らく祖母の押入れの中にでも眠っているのだろうか。
作文を書くことは好きだった。
思ったことを口に出すのが子供の頃から苦手だったから、時間をかけて自分のペースで思うことを文字にしていく作業は、自己表現の1つだった。
けれど、それを人前で読み上げるとなると話は別だ。
クラス内での発表も緊張してお腹がしくしくしたというのに、体育館の壇上でマイクを通してなんて、想像を絶する。
当時、私は思春期真っ只中、人見知りだし自分のことが恥ずかしいし必要以上に人目が気になるし、注目されるなんて御免被りたいお年頃だった。
けれど、その日はやってくる。
ステージに椅子が並べられ、代表者は全員そこに座り、順番を待たなければならなかった。
罰ゲームかと思うほど、私の心臓は鳴っていた。
内容はあまり覚えていないけど、
あの緊張は今でも覚えている。
緊張のあまり声が震えた。
泣いているようだった、
と、後から友達に言われた。
希望する保護者が数人観覧に来ており、
保育園・小学校と同じKちゃん(男子)のお母さんが、私の発表を聴いて泣いていた、と友達にきいた。
緊張のあまり細く震えた声が作文の内容と相まって、人様に感動を与えるという奇跡を生み出したらしかった。
正直直後は、褒められても感想を言われても恥ずかしくてろくに反応しなかったけれど、時間が経つと共に、自分が書いた文章が誰かの心に届くって、すごく嬉しいし素晴らしいことだと思うようになった。
13歳の私が図らずも成し遂げたのは、
なかなかに尊い出来事だったんだと思う。
いつかまたあの時のように、
誰かの心を動かす文章を書いてみたいと、
秘かに思っている。
無職である今、有り余る時間を最大限活用して、
noteをせっせと書いている。
こうして書いていると、
書きたいことがたくさんあるなぁと感じる。
それに需要があるかは別として..。
書くことで、自分の気持ちを整理したり、
あの時私はそんな風に感じてたのか〜と、
新たな発見があったりする。
私は自分のために書いているけど、
それを読んでくださりスキしてくれたり、
すごくありがたい。
noteって素晴らしい。
読んでくださって、
どうもありがとうございます。