亡くした誰かを思って、それでも生きていかなければいけないということ
知人の知人、
若くしてこの世を去ってしまった方がいる。
知人は、お墓参りに行くのだそうだ。
一緒に行く予定だった友人に断りを入れて、
やはり1人で行くのだと。
わたしがこんな所で勝手にこの話題に触れてつぶやいていること自体がおこがましくていけないことのように思うけど。
だけど、言いたいことがある。
大丈夫だから、
ゆっくり帰っておいで。
いや、直接言えよ、
そう言われれば
そうなんだけど。
私たちの間柄は、
友人というにははばかれる、
知人くらいがほどよい。
連絡先も知らない。
けれど、時々会うととてもいい遊び相手になってくれるその知人に娘はとても懐いている。
知り合ったのも最近で、
人づてに聞いた話をもとにわたしはその知人の心の中を想像するに過ぎない。
だけどきっと、苦しいだろうと思うから。
側で、同じ目的のために気持ちを通わせ共に過ごした友人を亡くすことがどれほどのことか、
理解できなくても想像することはできる。
自分を責めないで?
誰も悪くない?
軽々しくてとても口にできない。
ただ、あなたがそこにいてくれることが
わたしはうれしい。
残された私たちは、
それでも毎日生きていくしかないから。
とか、思ってみたり。
きっとこの先、歳をとればとるほど、
予期せぬさよならや避けられないさよならを
何度となく迎えるんだろう。
やめないでいたいなと思う。
つらい悲しいもう無理ダメだわ、
それでも、生きていくということを。
とりあえずわたしは、
娘をしっかり巣立たせるまではがむしゃらにやるっきゃないっ。