「猫」について/工藤千尋


この文章を書いてる今、メモアプリに何度も書いたり消したりを繰り返しています。
そんなこんなしてるうちに朝日が昇り、また夜が来ました。そしてまた朝を迎えました。

言葉にならないものに溢れてます世の中。

あいつと食べたキャベツいっぱいのもつ鍋
あの子と初めて行ったおすすめのセンスがいいBAR
十年以上ぶりにとったイルミネーション前での家族との写真

美味しかったね、嬉しかったよと言葉を連ねてみるものの、こんな言葉でいいのか!?
なんだか物足りないし、なんか違う!チープだ!
言語化できないもやもやがどんどん溜まっていき、耐えきれなくなり爆発します。誰かつかまえて朝まで酒呑むコース。私はそんなことばっかです。

だからそんな私にとって「猫」はなにかの縁を感じました。
だって今回の作品、「猫」に出てくる奴らはみんなどうしようもなく言葉足らずなんです。ずっとモヤモヤぐるぐる。そして無鉄砲、不器用極まりない。
けど、必死なんです。

そんな姿はもじゃもじゃ主宰で作演出の中山美里さんに似ています。

中山さんは
そんなこと悩んでもしょーもないわ、
なんて割り切れたらどれだけ楽なんでしょうか。それもできず、でもどうしようもできないからずっと稽古場で発狂していました。

そんな姿が私は愛おしいと思いました。
だって人間らしいじゃないですか。

そしていつの間にか稽古場でみんなで足掻いてもがいて台本何度も変わりに変わり、小屋入りしてトンテンカンテンして本番前日まできてしまいました。なんともまあ、あっという間とはこのこと。

明日から始まります。
もじゃもじゃ第2回公演「猫」

徳望館地下小劇場で最後の最後まで足掻き続けたいと思います。是非、観にきてほしい。

言葉に出来ないからこそ、観てほしいです。

そして感じたものをどストレートに投げつけてほしいです。あわよくば。

工藤千尋

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