カラオケの間奏

カラオケ好きです。録音とはいえプロの演奏だしいつもより自分の声が大きく響いて聞いてとお願いしなくても私の歌を聞いてくれる人がいる。
カラオケボックスに閉じ込められた人間は歌わなくてはいけない。(歌わない人もいるけど)カラオケボックスに一度入ったならば歌を聞かなければならない。(寝るやつもいるけど)気持ちいい~~カラオケ、超気持ちいい。
だけどノリノリの曲の途中に、長い間奏があったりすると死にたくなる……。歌ってるときは我を忘れてこの状況の自分に浸ることができるのに、一度間奏をはさむと我に帰る。たぶん我に帰らなければその間奏も乗り越えていける。最後まで気持ちいいままでいられる。けどそれが私はできない。だからいつも間奏がない歌を選んだ。

マンボウは、カラオケボックスの間奏の時間に閉じ込められた三人の女の話です。完全に私の解釈ですが。。。

日常でもカラオケボックスの間奏みたいな時間があって、今は絶対我に帰ってはダメだ、今我に帰ったら「わたしはいまなにをしているんだろう」に飲み込まれて死ぬみたいなときがあったりする。けどわたしはそういうとき絶対我に帰る。ベルトコンベアーで運ばれてくるカルピスの缶を箱に積める作業を永遠にしていたときとかに、我に帰ってしまったら最後、もうもとに戻ることができない。さっきまでなんにも気にしなかったことに気づいてしまったりする。

カラオケボックスで、歌を歌っている。それを聞いてくれてる人がいる。この2つの事実だけあればよいし、生きて、ちゃんと生活をしている。その2つの事実だけで大丈夫だったらいいのに。間奏に入ると歌えなくなるから急に現実に帰ったようで、歌以外のことについて考えてしまうし。人生で我に帰る瞬間、どういうときに死にたくなるか考えたらここでほんとうの意味で死にたくなるかも。我に帰ると生活とか感情とか生と死とか、自分の容量を越えて、それを無視することができないから~。

そう、間奏は無視することができません!でも間奏の時間があるのは私だけじゃないから。歌ってる人だけじゃなくて聞いてる人もなんだよなと思うことが、気休めかもしれないですが、なにか救いになるような気はしました!誰かが間奏中、音にかきけされてなんも聞こえないのに合いの手をうってくれるかもしれないし。私だって間奏の時間、私と同じで我に帰る人がいたら一緒に気まずくなりたいよ。私は歌うときの間奏は嫌いだけど聞くときの間奏は全然よくて、この歌いいねすごく好きとか、そういう、人にわざわざ言ったりしないことがたくさんあった。そういうことをもっとみんなに、みんなじゃなくても、言うべき人に言っておくべきだった。言えばよかった。私にとってマンボウはそういう舞台だから、今まで私のことだけだった私も、他人を求めたり他人のことを考える時間が増えた。今も我に帰るけど、結果的にほんとうに死にたくなったら死ねばいいけど、会いたい人もいるしなぁ、そう思えたからひどく安心したんです。

もじゃもじゃ
泉川遥香

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