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『ある腐女子』本番に寄せて

2023年11月16日
演劇企画もじゃもじゃ主宰 中山美里

2年ぶりの本公演を企画立案できたことと、現在稽古が行えることに対して、関係者と既にご予約いただいている方々、観劇を検討してくださっている皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
2023年11月22日(水)〜26日(日)の本番を無事に迎えられるよう祈りつつ、公演に向けた文章をこちらに掲載致します。

長くなります。役者をはじめ、関係者を守るために言葉を尽くさなければならないと思ったからです。団体の意向ではなく、中山美里個人の責任でこの文章を残すこともご了承いただければと思います。団体アカウントでの掲示になりますが、それはこれからご予約いただく方や、ご観劇いただいた方が終演後に検索しやすいと考えたからです。

途中まででもお読みいただけましたら幸いです。


【戯曲について】

本作品の企画趣旨は後述します。そちらに今回の公演でやりたかったことを載せました。きっと様々な異論があると思います。どうかご意見をお聞かせいただきたく思います。私もまだまだ勉強不足な人間です。ここで議論を生むこともまた、私の臨むところでございます。

ことの発端は、人生で初めてナンパをされたことです。大したことではありません。ドラマもクソもありません。その方は私とLINEを交換して、私の自宅の方向へしばらく歩きながらお喋りをして、交番の前でそそくさと逃げて行きました。以下、その晩から何日か続いたその方とのやりとりです。

ナ  優しいですね笑
私  やりたいの?
ナ  まじで緊張してます笑
私  かわいいね(笑)今度お昼ご飯食べに行こーよ!
ナ  是非行きたいです!てか、やりたいのってなんですか?気になります!
私  え!セックス!
ナ  やってもいいんですか?笑
私  やり目かどうか確かめたかっただけだよ
ナ  まじでヤリモクじゃないですよ!興奮はしましたけどね!
私  素直!(笑)動画どうした?誰か止まってくれた?
ナ  今日動画撮ります 中山さんの家で遊びたいんですけど何日空いてますか
私  うち、遊べるもんなんもないよ(笑)

不在着信

ナ  今日少しだけ家いさせてもらえませんか?家まだ無いんですよね頼みます
私  いや、それはもう宮城帰りな!それか新宿でホストやりな!寮あるから!ナ  分かりました笑 でも中山さんの家では遊びたいです!中山さんジブリっぽいんで仲良くなりたいです
私  ごめん、怖くなってきた 仲良くなるなら、家じゃなくても良くない?
ナ  いや、宅飲みしたくて笑 宅飲みまじ憧れてるんですの♡
私  ごめん、実は彼氏はいないけど彼女いるんよ。喧嘩してて腹いせに遊んでやろって思ったんだが、土下座して謝って許してもらえたから、君とは遊べなくなってしまった ごめんね
ナ  彼氏てレズ? 美里さん女じゃないの? みす彼女てレズなの?
私  レズじゃないよ、男の方が好き。今の彼女が性別飛び越えるぐらい魅力的なだけ。マジで一生幸せにするって決めたから、彼女の嫌がることはもうしたくないんだ。ごめんね、ブロックするね

〇〇が退出しました

トーク相手がいません

私はこのやりとりを終えた後、真っ先に思いました。私が男でBLするか、友達になれたら良かったのにと。
つまり、本当に個人的なことがきっかけで戯曲を書き上げたのです。
私の理想の恋愛はBLの中にあり、体格差の壁を乗り越えられるほどの戦闘力が私にあればこのナンパ人を孤独から救えたのではないかというエゴがこの戯曲を書き上げるエネルギーでした。

【作品について】

本作品では、何が悪いか・良いかということをはっきりと提示する意図はありません。
前述のLINEのやりとり一つ取っても、意見は分かれますし、どちらかが悪いという問題以前かもしれません。
このナンパ人と出会ったのは2022年3月。それはコロナの真っ只中であり、人と人が分断された孤独の時期だったと言えるかもしれません。その混沌とした時期のナンパは何を意味していたのか。
腕力や戦闘力のない私はそのナンパ行為に怯えて逃げる(もう会わない)という選択をしました。殺されるわけにはいかなかったからです。おそらく、ナンパという行為自体に嫌悪される方もいるでしょう。
やはり私はどちらとも言えないのです。悪意を持って人を傷つけようとする人とは関わりたくありません。善人になりたいわけではありません。
この性別や身体的な特徴、様々な差別についての解決策を考え続けたいだけなのです。そして誰か答えを知っているのなら教えてほしいと、劇場で待っています。

BLが大好きです。ですが今回の演劇作品において腐女子の方々を満足させることは意図していません。また、様々な恋愛のあり方についても言及する意図がありません。

さて、どこまで警戒すべきなのか、警戒という言葉もまた間違いなのか。慎重になるべきなのか。それもまた差別なのか。もはや私にできることは、目の前に現れた人間と誠実に、対等に接する方法を知り、それを実行することしかありません。

この作品が個人的なものなのか、社会性を帯びたものなのかを判断してくれる人も待っています。またそういった作品を世に出すべきではないのか、出しても良いのか、教えてもらいたい。

物語は70分を予定しています。一瞬で終わります。刹那です。

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以下、若干のネタバレを含みます。ご了承の上お読みいただくか、ご観劇後にお読みください。

【企画趣旨】

1.「腐女子」解釈の提示

一般には「ボーイズラブ(BL)と言われる男性同士の恋愛を取り扱った作品を好む女性」と理解されているが、腐女子やBLについての知識が全くない人に対して、どう言う人なのか説明することはかなり難しい。知識を持っている人にさえ理解してもらえないことが多々ある。これは当事者が明確な定義付けを嫌い、「腐女子とはこういう人ですよ」という解釈本が反発を受けてきたことや、一つの腐女子グループに当てはまることが他のグループに当てはまらないことがあるなど、かなり多様性を帯びたジャンルであるが故である。
そこで本企画では『関係する女 所有する男』(斎藤環著・講談社現代新書)という書籍の言葉を引用し、腐女子を「男性キャラクター同士のホモセクシュアルな関係性に高い関心を持っている人」と定義し、作品に落とし込む。重要視するのはこの「関係性」という部分。腐女子が男性同士の性行為を見て喜んでいるだけの存在ではなく、「関係性」を追い求める者だと提示しなければならない。なぜなら、私が腐女子に社会を動かす可能性を感じているのはこの部分であり、BLをただの快楽装置として扱い、そこに群がる蛾のように腐女子を定義してしまっては演劇作品にする意義がない。もちろん腐女子の持つ「関係性原理」の欲望において性行為は重要な要素なのだが、それは後述することにする。

2.BLが持つ機能

創作物としてBLがどのような機能を持っているのか。
BL漫画にはしばしば性的描写が見られるが故に「BLってエロ本なんでしょ?」という認識を持たれている方もいる。それは完全に間違っている訳ではなく、そういった快楽を求めてしまうのは否めないだろう。しかし本公演では、なぜ男性同士のエロを創作物の表現方法として選んでいるのかという一歩踏み出した視点でBLを扱う。つまりその性描写が描かれることがあるBLという表現方法の機能と有効性を考えて舞台の創作を行うということだ。
男性同士の性行為では主に男性器とお尻の穴を使用するが、あくまでこれらをパーツとして、男性という社会的に作られた性別も一つのキャラカテゴリーとして捉え、これら二つは素材にすぎないと考える。妄想の際に使える素材でありメタファーとも言えるかもしれない。その素材に引っ付いたイメージを加味しつつ妄想を楽しむコンテンツとしてBLを扱うのだ。
BLには攻めと受けというキャラ属性が存在し、どちらも男性(キャラカテゴリーとして)とされているので男性器を有している。これは同じものを有しているフラットな状態と言えるのではないか。キャラクターの物質としてのフラット性。ここに性格や社会的地位の差がプラスされてキャラとしての概念が形成され、そんな二つの概念がフラットな状態から関係を生み出す。
このフラット性に「対等な関係」を表現する機能と有効性があるのではないか。もちろん、この仮説には個人的な希望的観測が含まるため、全てのBL作品がそういった機能を持っているというわけではない。
少々余談だが、女性同士でもその表現は可能であると思う。しかし百合と呼ばれる女性同士の恋愛を描いた作品には疎いために漠然としたことを述べるが、百合作品とBL作品にはまた違った機能があるのではないだろうか。受取手の状態にもよるが、百合作品もBL作品もそれぞれ性自認を女性・男性としているどちらからも「自分と近過ぎて読めない」という声を耳にする。そういった受取手の状態を考えて 自分の表現が届いてほしい人に有効な方法を選んでいる作者もいるのではないだろうか。
私はこの対等な関係を求める存在としての腐女子にジェンダー問題や男女不平等制度の打開の可能性を見出し、演劇作品の構築と上演を企画する。人々に差が存在する限り、完全に対等な関係を築くことは不可能である(完全に差がなくなってほしいとも思わない)が、その上でどう社会を作るか、どう他者との関係を築いていくのかが人類の永遠の課題であり演劇が持つ要素の一つではないだろうか。

3.私が持つジェンダー観

腐女子を題材にする以上BLは切っても切れず、必然的にLGBTQについても触れなくてはならないだろう。そこで、私が持つジェンダー観をここに提示させていただく。
まず、世界には男性と女性、二つの性しか存在しないとするバイナリー(二元論)な考え方を捨てる方向に興味がある。私自身、日によって男性的でいたい時と女性的でいたい時があり、恋愛感情らしきものを抱いた相手が男性だった時は相手が求めるものを考えた結果女性的であろうとしたし、逆もまた然りだった。「らしきもの」と言うのは、私は男性(性自認と戸籍上の性が一致している)を好きになった時に、その人になりたくなってしまう為、これは本当に恋愛感情と言えるのか検討の余地があるので「らしきもの」としている。強いて言うならば私の状態はLGBTQで言うところのBかQに当てはまる可能性があるのだが、勉強不足であるため断言できない。簡単に言えば、ジェンダー(社会的な性の在り方)なんて気にしないで自分らしく人生を謳歌し、臨機応変に社会に適応して欲望の限りを尽くし欲しいものは全て手に入れてやろうと考えている。もはやジェンダー観は置き去りになっているが、戸籍上の性に対しての異論は無いし、思春期に胸が膨らむことや、ブラジャーを付けなければならないことに戸惑いや嫌悪はあったが、現状己の身体については何とも思っていない。
さて、そんな考えを持っているものの、男女二元論の歴史は長すぎて大多数の人間がそのことを常識としていることを認識している。観客も二元論者がほとんどだろう。生物学的に男女を分けた方が医療的な治療の際にわかりやすく便利なのかもしれないし、従来の考え方を持つほうが対人関係において楽だろう。私もその方が楽だし、そちらに迎合して生きて長いものに巻かれたかった。だけどどうしても違和感がある。体に対してではなく、社会的な性の在り方に、「女の子なんだから」と言われることに。稚拙な言い方になるが「別にいいだろどっちでも、そんな表面見てねえで本質に興味持てよ」と、自分自身に向けられた目に対してはそう思ってしまう。おそらく、色々な考えを持つ当事者たちがいるので、その人たちから見たら私の考えも納得できなかったりするのだろう。
自分語りが長くなってしまった。つまり、全ての人間に「二元論を捨てろ!」とは思わない。自分自身がどちらとも言えない立場を感じているために、ノンバイナリーな考え方に興味があるだけなのだ。二元論以外の考え方を持った人間を排除するのではなく、共存の道を、お互いを尊重する為にできることはないか考えて行こうと言うのが、現状ジェンダーに対しての姿勢である。

4.BLとジェンダー(現実)に対する考え

上記のジェンダー感を持っているため、現実の同性愛者に嫌悪など全くない私だが、当事者にとってはBL作品など嫌悪の対象となることもあるだろう。
創作者側である我々は本企画において、BLと現実のゲイの方たちとを切り離して扱う必要がある。どちらかを度外視するのではなく、混同して考えてはならないと言うことだ。2で述べた通り、今回焦点を当てるのは対等な関係を求める腐女子と言う存在であり、腐女子が生み出した虚構と現実は必ずしも一致しない。虚構にこそ腐女子が持つ欲望がよく現れていて、現実と混同することによりその欲望が薄れてしまうことは避けたい。BL作家(商業BLと呼ばれる、登場人物やストーリーが完全にオリジナルの作品を描く作家)たちが想像力を持って、現実のカップルの周りの人間がどのような人々であれば良いのかを考え作品内に登場させるようになった歴史があるが、その社会に対しての働きかけは漫画作品であるからこそ有効であり、今回の演劇作品においてはその有効性はなく、舞台上に載せたいものではない。腐女子を扱う上でBLが切っても切り離せないが故にBLを扱うのだ。
BLを受け入れられない人が嫌悪する部分は恐らくBLに内包するエロティシズムや現実離れした展開、絵柄などだろう。それ以外は少女漫画と何ら変わらない関係性原理の世界である。繰り返しになるが、これこそが腐女子の欲望の根源であることを提示することが本企画の目的である。
萌えを感じている腐女子自身は現実に存在し、舞台上で演じる役者もまた実態を持った人間であるため現実を度外視することはできないが、あくまでBLと言うジャンルは虚構であると言う前提が必要だ。そのため物語序盤では「萌える」BL展開を構築したい。私という腐女子が考える理想の恋愛関係と言っても過言ではないだろう。(理想を提示すれば議論が生まれる。何も外に出さなければ、何も起きない可能性が高い。)その展開を打ち崩す装置として現実を利用するのである。

5.物語への没入を回避する

4までのことを踏まえ、観客をどのような状態にするために作品を創造していくのかをまとめる。
まず、客層を大きく分けて二つに分類し、それぞれに対しての上演目的を明確にする。

→腐女子・・・演劇への導入と演劇的視点の獲得、欲望の根源の発見・検討
→非腐女子・・・腐女子文化の見直し・批評

これらを劇場内で成立させるためにブレヒトの劇作術を参考に作品創造を進める。「異化効果」についてはご存知の方も多いだろう。端的に言うと、物語に没入させない為に役者が観客に直接話しかけ、第4の壁を壊す等の仕組みである。現代演劇の始祖であるブレヒトの劇作術は昨今一般的に使用されており、今更使用することへの明確な宣言は疑問があるかもしれない。しかし、本企画において物語に没入させないことこそが最重要事項だ。それこそが漫画ではなく演劇作品にする意義だからである。むしろ物語に没入させたいのであれば漫画や映像作品にした方が有効だ。没入してしまっては批評性が生まれる確率が下がる。
ブレヒトが目指した演劇はヒトラーの独裁に対抗する術だった。演劇体験をナチス党大会のような「同化と没入の装置」としての祝祭劇から「異化と批評の為の装置」へと作り替えることを企てたのだ。現在オタク文化の中に深く浸透している2.5次元演劇は「同化と没入」を目指して作られているように感じる。それこそがオタクの喜びであることも重々承知しているし、それを楽しむことを否定するわけではない。ただその流れの中に演劇の「異化と批評」の力を落とし、オタクに別の視点(演劇的視点)を持たせることで、社会や人々に対する見方が豊かなものに変化するのではないかと目論んでいる。
腐女子の存在を見つめ直し、そこに含まれる「対等な関係」についての検討を促す。観客をこのような状態にすることが、本企画の企画趣旨である。

●参考書籍

・関係する女 所有する男(斎藤環・講談社現代新書)
・BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす(溝口彰子・太田出版)
・ノンバイナリーがわかる本(エリス ヤング著 上田勢子訳・明石書店)
・俺たちのBL論(サンキュータツオ/春日太一・河出書房新社)
・テアトロン 社会と演劇をつなぐもの(高山明・河出書房新社)
・ハッピークソライフ(はらだ・竹書房)
・同級生 blanc(中村明日美子・茜新社)



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