「猫」について/安藤あゆみ


まず中山美里の話をします。

中山美里は演劇団体もじゃもじゃの主宰で、この度の作品『猫』の脚本演出を務める人間です。
彼女はちゃらんぽらんな私から言わせても、決して優秀な人間ではないと思います。

彼女はよく大きい言葉を吐きます。
「この芝居で世界を変える」
…けどびっくりすることに、私は中山が何か物事をトントン拍子に、要領よく進めているのを見たことがありません。中山の前にはいつも壁が沢山あって、そこを乗り越えるのにいちいち愚痴をこぼしていく。目の前にやらなくちゃいけないことがあるのに、全く違うルートの壁に寄り道をする、そんでなんか知らないけど打ちのめされて帰ってくる。
中山は優秀ではないけど、驚くほどに人間くさい。そのもがきようが、この作品にはよく出てるなと思います。

私は今回役者として関わらせていただいてますが、こんなに不恰好に邁進していくことはなかなかできません(褒めてます)。それはプライドとか理性とか、そういうものが足枷になっているからで、私みたいな人間はそんなに少なくないとも思います。

けど本当は何かをがむしゃらに信じられたら。
そんなことをよく考えます。最近久々に連絡をとった幼馴染も
「私も何かものすごく好きなコレっていうものがあったら人生変わってたのかな」
なんて言ってました。

今作『猫』は、現代を生きる私たちのもがきようの上澄みをすくい上げたような作品です。
「私に見える赤色があの人にとっては青色かもしれない」
そんな感覚がこの芝居の当初のテーマでした。だけど好きという感覚も嫌いという感覚も千差万別。それが面白いと思うけど、だからこそ日常的に「ちゃんと伝わってんのかな」って思うことも多いです。
私は演劇が好きかと言われたら、好きと答える他なりません。けどこの「好き」にも色んな違いがあって、私は中山美里がもつ彼女の「好き」に対して動いていくエネルギーが羨ましくてなりません。

『猫』の稽古が進んでいくにあたり、実はこのテーマとは全く違うテーマが生まれ、
それに合わせてさまざまなアイデアが生まれては消えていきました。
一つの作品にこんなにもいろんな材料を持ち寄って、淘汰していくのは初めてで、正直言うとこの芝居はどこに向かっているのだろうかと考える時も。
けどそれは自分自身がそうなのだと思います。私たちが進んでいくこの先は一体どこに向かっているんだろう。そんな漠然とした不安が、より良い先を想像できない不安がいつも付き纏っている。

この芝居に関わっているキャストもスタッフも、演劇漬けになりながらそんなことを考えている奴らばっかりです。芸術ってなんだろう。進んでいいのかわからない。けどまだやめられない。
そんな私たちの見ている景色を、どうか一緒に目撃してほしい。

常に温度が上がり続ける感覚がずっとしている。そんな芝居を作れると私も信じていたいです。

安藤あゆみ

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