群れてるメンズが愛おしい
男好きだとかそんなレベルじゃなく、男子高校生ノリに何か熱いものを感じる同士はいらっしゃいませんかって話。
小さな男の子が公園で一生懸命石を摘んでは置いてを繰り返す姿も愛おしい。
世界の色んなものが珍しくて
世界に触れる小さな指先が可愛らしくて
止められない好奇心をそのままに
自分の世界にどっぷり浸かる姿
美しいし、たくましいし、愛らしいし、羨ましくもある。ああ素晴らしいなと感動する。
それを大きな男の子がやってるのがまた良いなと思うんです。女の人が言う「男の人っていつまで経っても男の子ですよね。中身が子供のままなのよ。」あの感覚を使っているのかもしれない。
そんな個人の世界を大人になっても持ち続け
さらに損得無しの関係性で共有しているのが羨ましいという感情を通り越して眩しくて美しくて感動してしまう。
できれば年齢が25歳を越えたあたりになってくると最高に良い。「まだお前達そんなことやってんのか」という言葉が褒め言葉になる頃は最高だし、もはや何も言われなくなるとすごくいい。
この感動に気づいたのはYouTubeにハマってから。私が好きになるYouTuberは「東海オンエア」「はじめしゃちょーの畑」つい見ちゃう。何が共通点なのか考えた時に次に好きな「すしらーめんりく」「平成フラミンゴ」と比べてみて分かった。
意味のない日常を意味のない会話で無駄に多い人数で共有して大きな声で笑ってる。そんな姿が好きなのだ。
そして東海オンエア・はじめしゃちょーの畑・オードリーの共通点は男の子達が自意識を意識したまま群れている様子があるところだ。
オードリーが部室ノリという冗談を挟んできますがあれが大好きなの。女子校出身の私には眩しい世界なのかもしれない。男の子がつまらないことを集まってくだらない話を"いじいじ"してるのが愛おしくて仕方ない。むしろ羨ましい。楽しいってそういうことじゃん。価値観の共有が人間の醍醐味だと思うわけ。それがニッチであればあるほど感じる一種のかるたしすを感じる。いや本人たちは本気で石を並べたり語り合ってたりするんだろ?なんて羨ましいんだ人間として羨ましい。生まれ変わりたい。少年になりたい。
大人になると1人になる
教室という枠が無くなり
友人は選べるようになる
人数はどんどんと少なくなり
居なくたって気にならないし
欲しくたって状況によって消えてしまったりもする
大人になると話さなくなる
個人の趣向など興味がない
牛丼に紅生姜を乗せるか乗せないか?
人に言わず好きに食べたらいい
言われたとことで相手は困るかもしれない
だって大事な話さえしなくなる
好きな人の話も将来の悩みも家庭の愚痴も
相手の負担になりすぎないよう言ったりする
それでも私達は友人同士で
この先も変わりはないのだけど
あの先生がムカつくとかきのこの山派だと真剣に語るあの頃とは自分を表現する事に何かブレーキがかかるというか
自分の事を語る事に価値を置かなくなったように思う
何も言わなくてもゆったりと時間を共有できる相手
そんな関係性になってきた
だから
私はこう思うんだ!!!と
声を大にして大勢の友人の前で
大人が言う姿
否定したりしなかったりして
その時間を笑いに変えて行く空気
誰に見せるでもなく
言葉にしないけど俺たち友達じゃんっと
この関係性は最高だなと本人達も自覚して誇っている姿が隠しきれていないのも愛おしい
羨ましいのだろうか
単純に人間関係として美しいなと思う
純粋で時間がゆったりとして
何も無いけど全てある
彼らだけの時間が恒久的にこれからもある
この時間は永遠だなんて思う。