怖さを越えていく怖さ
怖さを越えていく怖さ。怖さの感覚が鈍っていくことへの怖さ。恐怖を失うことの怖さ。
なんのことだろうと思う人が多いのか、なんとなくわかるよと言ってくれる人もいるのかは分からない。
私は最近、恐怖を失いつつある自分をふと振り返って怖くなったのである。
幼い時、私は電車と電車の間の接続部がすごく怖くて、母親に手を引かれてそこを通るように言われた時に全身全霊足をつっぱって抵抗した記憶がある。電車のつなぎ目。内臓じみたひだを持つ壁面に囲まれた空間が電車の揺れに合わせて蠕動運動のごとく動くその様は、まるで何か生物に飲み込まれ消化されてしまいそうな不安感があった。そしてなにより万一、万一動いている電車がそこでぶつっと切れてしまったらどうしよう。それは幼いながらにうっすらと感じていた潜在的な死への恐怖だったんだと思う。
もっと万人的で分かりやすい例を挙げれば、ジェットコースターが怖いという感情。
私はジェットコースターという乗り物が本当に怖かった。
かたかたと音をたてながらてっぺんへ落ちるために登っていく。落ちる。体の中身が上へ、上へ持ち上げられる感覚。今、この瞬間に自分が握っている安全バーが外れたら。宙へ放り出され、固い地面へと打ち付けられる自分を想像すると嫌な汗が止まらなくなる。死へと向かう恐怖で身がすくむ。思わず目を固くつむる。隣で歓声をあげる友人が信じられなかった。
けれど…電車の接続部分もジェットコースターもなんどもなんども死なない経験を繰り返すことで、死への恐怖はいつしか霧散して限りなくゼロに近づいていった。
いや、嘘。電車間の移動は普通にできるようになったけどジェットコースターはやっぱりまだ断然怖い。(ただ、USJのハリドリは合計5秒くらい目を開けられるようにはなった。)
死への恐怖から徐々に解放されつつある私は新たな恐怖に気づいてしまった。
電車が途中で切れることはないかもしれないけれど、私の揺られている電車が今この瞬間に事故にあうかもしれない確率はゼロではない。ジェットコースターの事故率は少ないかもしれない。いやでも、この間フライングダイナソーで宙吊りになったというニュースもあった。
そう、私たちは思ってるよりも死と近いところにいるのだ。それなのに、そのことを忘れていってしまう。ある日気がついてぞっとしてしまった。
死への根源的な怯えから遠ざかることで、死へ近づいている。ジェットコースター、電車の間のところ、逆上がり、急勾配の階段…。
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