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オリジナルはどこにある?
私は自分で言うのもなんだが、共感性が高い人間だと思う。他者の言葉、思想、志向に影響をされやすい人間だと思う。
そんな人間であるからこその悩みがある。
私の思考、言葉は本当に私のものなのか?
思った時点で私発信になるのか?相手が思った事、感情に引っ張られて出てきた言葉ではないのか?他人と話している時に出てきた自分の言葉を疑ってかかってしまう。他人のものを略取したような罪悪感がある。思考の著作権を侵犯してしまったような罪悪感が。
個性とかオリジナルってなんなんだろう。
世界のどこかしらでは自分が発した言葉と類似した事を発している人がいるわけで。考えれば考えるほど、どこに自分がいるのか見失っていく。私は誰かの言葉の引用のツギハギでしかないのだと。
そんな話をした時、とある友人がヒントをくれた。
「個性はコップみたいなものだ」
コップの中には色々な物を入れる。みんなそれぞれ違うものや、同じものをその中に入れていて、結果色や味に違いができる。構成しているものは人からもらったものだけれどその組み合わせ次第で全然その結果が違ってくる。
バーでカクテルを作ってもらった時に、「あれ、この間同じものを注文した時と味が違う?」ということがある。きっと、個性とはそう言うことなのかもしれないと納得した。コップやグラスという容れ物が私自身なのだ。そしてその中身の配合率こそが、個性というものになっていくのだと。
そして、原点たり得ることはできないのだ。配合前の思想や言葉だって、また別の誰かが発したもので。永久に遡って純粋な液体に辿りつこうとしても幾百幾万の人が紡いできた歴史の中で思考の出発点を見つけることは不可能に近い。完全にオリジナルな自分を探すこと自体が不毛で奢りなのかもしれないと思った。
ただ私という容れ物にヒビが入らないように自分自身を大切にすること、中の「個性」が綺麗に見えるように自分自身を磨くことはできる。そして中にどんなものを入れるかは私自身に委ねられている。
自分の「個性」が映える為に、できることを一つずつ。