詰め合わせ
列
会計のために、列に並ぶ。
時々、その列が長いほど、混雑しているほど、列の最後尾ではなく、不思議な箇所から新たに列に加わろうとする人が現れる。
そして、不思議なことに、そういう人は、なぜか私の横に来る。
私の隣に現れる、「ニョッキさん」。
え?なぜそこに立っているの?
もしかして、列に並んでるつもり、なの?
謎の緊張感に襲われる。
そこ、絶対に、最後尾ではないんだけどな。私の後ろに、すでに二人並んでいるよ?
もうちょっと目線を先にやれば、わかることだと思うんだけどな。声かける?いや、私が相手だったらそんな恥ずかしいことない。お願いだから、早く気がついて…。
そういえば、前にも同じようなことがあった。
大学の昼休み。混みあうコンビニ。
最後尾に並んだはずなのに、私より前の箇所で列に合流しようとする新たな列が生まれていた。
それは、普通に割り込みだと思うんだけどな…。
でも、当の本人たちは、何食わぬ顔をして、むしろ私の方を見ながら、「なんであそこに列があるの?」と言いたげだった。いや、私、あなたたちより先に並んでたよ。
とりあえず、そのまま並び続ける。
しかし、時間がたてばたつほど、疑惑の念は自分に向けられる。
もしかして、私が並ぶ場所、間違えてるのかな。
いや、そんなはずはない。列に並ぶ前に、何回も確認した。
なんで私がこんな居心地悪い思いをしなければならないんだろう。
とはいえ、別に怒るほどのことでもない。
だんだんと、私の列ではなく、向こう側の列に人が並んでいく。
これは、こちらが、劣勢ですね???
というか、やっぱり私が変な並び方しちゃったのかな。申し訳ない。
仕方がないから、向こう側の列に並び直してみる。
しかし、並び直した途端、元いた列が伸び始める。
結果的に、私よりずっと後に並び始めた人が、私より前にいた。
貴重な昼休み。タイムロスがひどい。
というか、私って生きるのヘタクソだな。前々から思っていたけれど。
素直だけど不器用という私のようなタイプは、基本的に損をする役回りだ。
こうやって、私は社会の中で淘汰されていくのかな。とさえ感じた。
依然として、ニョッキさんは、私の隣でスマホを眺めている。
どうすればいいのかな。どうしようもないよな。
ニョッキさんが顔を上げる。すると、すぐさま列の最後尾に向かっていった。
はあ、良かった。
心底ほっとして、私はレジに進んだ。
ぼやける
私は普段、外に出かける際は、ワンデーのコンタクトをつける。
けれど、今日はコンタクトをつけるのを忘れた。
外に出て、初めてそのことに気がつく。
いつもクリアに見えている景色が、かなりぼやける。
視界がぼやけるだけで、なんとなく、生きている実感が薄れる。夢を見ている気さえしてくる。
コンタクトをつけ始めたのは、大学入学後。
高校受験のタイミングで視力が一気に低下した実感はあったけど、だからといって特に生活に困ることはなかった。
身の回りの物、隣にいる人の顔はちゃんと見える。
黒板は少し怪しかったけど、いつも前列の席が当たる星のもとに生まれたので、問題はなかった。
ただ、大学に進学するにあたり、行動範囲も広がるし、何より大学の教室は広い。
遠くが見えにくいと感じていた私は、コンタクトをつけることにした。
眼科で視力検査をしてもらう。結果、想像よりもずっと視力が低かった。
まじで?全然見えてないじゃん。
コンタクトの度数的には最低数値だったけれど、コンタクトをはじめて装着した後の
「み、見える!!!!」
感はすさまじかった。
私、こんなに見えていなかったんだ。
高校3年間、私はこんなに見えない状態で過ごしてしまったんだ。
確かに、高校時代と言われて思い出す景色は、
どれもモヤっとしていた。
それは単に私がぼーっと過ごしていたからだと思っていたけれど、もしかしたら視力のせいなのかもしれない。そう思った。
高校時代の景色を、脳内に鮮明に残しておきたかったなと、少しがっかりする。
私はいまだに、自分が高校生だという設定の夢を頻繁に見る。
どれだけ高校時代に未練があるんだ。
世間ではよく、「青春」はキラキラ輝いてまばゆい、尊い時代として語られるけれど、
必ずしも、そんなに輝かしいものでもないでしょう。
理想を追いかけているのかな。キラキラ、欲しかったのかな。
ぼやける景色を眺めながら、コンタクトをつけ始めたころのショックな気持ちを思い出す。
やっぱり、全然見えないなあ。
スマホの通知が鳴る。高校時代の友人からのメッセージだった。
「久しぶりに会おうよ。」
当時の景色をクリアに思い出せなくても、現在進行形で続く目に見えないものが、私の手の中に確かにあると感じた。
これで、十分だ。十分すぎる。大事にしよう。
ぼやけていた視界が、少しだけはっきりした気がした。