国立新美術館「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」に行ってみた
最近の夏は暑過ぎて、旅行もアウトドアなこともやる気が起きない。でも、ただ家に居るだけだとインプットが少なくて気持ちがどんよりするので、積極的に美術館に行こうと思う。
六本木の国立新美術館で開催されているこちらの企画展は、ネットで当日券購入ができる。時間指定も必要なく、夕方適当に向かったら、この日は並ばずに入れた。
蔡さんは、1957年末に中国で生まれ育ち、1986年から1995年に日本に住んで、その後アメリカに渡ったアーティストらしい。世代は私の2回りほど上だが、同じ時代を生きて、同じ日本に住んでいた。東洋哲学の感覚を持って宇宙を探究するというのが面白そうだった。
作品は火薬を使ったもので、ドローイングもあるし、爆発イベントもある。キャンバスやガラスなどに火薬を撒いて爆発させてできた形の表現と、花火とは違うけれど大量の火薬を使って空間に表現されたものだ。創作風景がとても珍しいと思って(少なくとも私は今までこういうものを見たことがなかった)、展示室で流れている動画もゆっくり見てまわった。
天体図鑑を見て、そのよく分からなさに惹き込まれるカンジに似ている。気が遠くなるほどの昔、ビッグバンが起きて宇宙が創造される。巨大なエネルギーと極端な高温あるいは低温、高密度の世界。できるだけ数字的なものを拾って具体的に想像しようとするけど、分かったような分からないような。そもそもの根源、本当のスタート地点は、どうしてもよく分からない。
そのよく分からなさは、自分という存在に似ている気がする。考えてみても答えは出ないのだけども、ギリギリのところまで自分なりに迫り、追求してみたいと思ってしまう。
火薬というと怖いイメージがあるが、作品を見ていると、確かに宇宙を表現するのに適した手段なんだと思えてくる。
創作の現場で感じられたであろう熱、光、音、煙、爆風、その後の混沌をイメージしてみる。作品は、もちろん蔡さんによって全体をある程度コントロールされているが、エネルギーの爆発で生成されている。
宇宙も同じように、爆発とその場の環境、偶然の積み重ねによって今のカタチになったんだ。急に果てしなく遠い原始の世界の成り立ちが、ストンと腑に落ちる。
美術展の解説はいつも読めない方なのだが(パネルの前が混雑しているから、そこで疲れてしまうより作品自体を鑑賞する時間を長く取りたいと思ってしまう)、蔡さんが書いた日記などの言葉は、哲学的でとても興味深く、熱心に読んだ。
見に来て良かった、よい経験をした一日だった。展示室を満足して出て、とても充実した気持ちになった。けど、フワフワとまた頭の奥底の方から疑問がわいてくる。
蔡さんの作品は、蔡さんが火薬を使うという意思を持って創り出したしたものなんだけど、結局、宇宙の始まりも誰かの意思なんですか?その誰か自体の始まりは、一体、どこにあるんですか?
また堂々巡りだ。小さい頃から時々、こういう問いに捕捉されるときがあった。こういうのは、私みたいな凡人が1人考えても、永遠に分からない。分からないんだけど、これからの人生でも時折つかまっては、分からなさを思い知るということを繰り返すんだろうなと思った。