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名古屋に忘れっぽい天使はいなかった

パウル・クレーといえば忘れっぽい天使、というぐらいに人気の絵。天使は忘れっぽいではなく、忘れっぽい天使という言葉の響きも手伝って印象的なのだろう。この天使、こんなにも熱狂的な視線が集まる以前は好んでいたが今は一歩引いてしまっています。

愛知県美術館にてパウル・クレー展が開催されていると知り、さっそく向かう。祝日だというのにそんなに混んでいないのはとてもうれしい。混雑している美術館ほど反吐が出るものはないから。

パウル・クレーの知識といえば、強皮症を患い発症してからわずか5、6年で亡くなってしまったということぐらいだった。
しかし彼の絵を見ていると、年代によって描いている絵が全く違うことに驚く。これはどうにも落ち着かない。もちろんその系譜を持って作品を昇華し変化するということは理解ができるが、これクレーが描いたんだよと言われても首を傾げるばかりだった。
いわゆるクレーっぽいと思わせる作品は1921年バウハウスで指導する辺りから。色とりどりの色を置いていく方形画。

クレーは補色を含むあらゆる自彩の関係を、運動という連続性のなかで捉えようとした。この作品に現れる多様な色彩もまた、白と黒を両極とする色彩立体における連続的な運動のなかで捉えられる。たしかに、例えば画面の中央にある薄ピンクと、瞬接する濃掛とのあいだには飛躍が生じている。しかし、より視野を広げてみれば、この飛躍的な関係は、色彩立体において近接する色彩や中心点としての灰色を経由して、連続的な運動を獲得するのである。

愛知県立美術館のキャプションから

キャプションって神?と膝を打つくらいに納得したこの説明文。このキャプションがなかったら私は到底この絵を理解しなかっただろうな。大袈裟ではなく30分以上眺めていた。
境界線の曖昧さとでも言おうか、クレーの不気味なまでの絵画に対する解像度を絵を通して、いや、キャプションを通して知った。

一回りしたころにはもう空腹感の頂点に。美術館を巡ると実にお腹が空く。チョコレートを私にちょうだい。

ねえ、パウル・クレーさん。あなたが実は忘れっぽい天使だったりしませんか?