【短編】碧空先生
生徒たち「碧(へき)さーん、さようならー」
「おー、気を付けて帰れよ」
その先生、古井碧空は生徒から慕われ、「碧空(へきくう)先生」とか「へきさん」などと呼ばれている。
中学校で主に古典を教える古井には、3つ歳上の兄がいた。趣味の写真はセミプロ級の腕前で、個展を開くほどだった。
兄の事故の連絡を受けたのは10年前の冬の朝だ。
通勤途中の交通事故。救急搬送先の病院に古井が駆けつけた時にはもう手の施しようがなかった。
兄のライフワークとも言うべき写真。中でも得意としていた空の写真が古井は好きだった。
雨模様の空。夏の発達した積乱雲が雄大な空。晩秋の雲ひとつない、高い空。水田に映る夕焼けの空。
そこらのフリー素材に負けない、素晴らしい作品ばかりだ。
古井はその作品集を自分の生徒たちに見せて、「写真」という美しい瞬間を切り取る芸術に触れてもらう機会を作っていた。中にはそれがきっかけでカメラを始めた子もいた。
ある日の授業の事だった。
「今日は中国の古典、唐の時代の漢詩だ。98ページな」
それは有名な漢詩、【黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る】だった。
古井が漢詩を読み上げようとすると、生徒たちが一斉に立ち上がる。そして漢詩を声を揃えて読み始めた。
故人西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月揚州に下る
孤帆の遠影碧空に尽き
唯だ見る長江の天際に流るるを
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