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【短編】 吾亦紅とサングラス
八月の終わり、山田修二は祖父の墓参りのために小さな村を訪れていた。
山間の静かな村で、祖父の墓は村の外れにある山道を登った先の墓地にあった。
幼いころ、夏休みのたびに祖父の家に泊まりに来たものだが、祖父が亡くなってからは訪れる機会も少なくなっていた。
墓に手を合わせた後、修二はふと山道の脇に咲いている小さな赤黒い花に気づいた。
吾亦紅(われもこう)だった。控えめでひっそりと咲くその姿に、何故か懐かしい気持ちが胸に広がった。
そういえば、祖父もこの花が好きだった。
「吾亦紅か。久しぶりに見たなあ」
修二がその花に手を伸ばそうとしたとき、背後から声が聞こえた。
「吾亦紅、好きか」
振り返ると、サングラスをかけた男性が立っていた。手には古びた籠を持ち、何やらキノコらしきものが入っている。
「吾亦紅はな、こう見えてバラ科なんだ。でも、さりげなく秋の風情を演出してるだろ。コイツが出てくると、秋がもうすぐって感じだな」
年の頃40歳ぐらいのサングラス男はそう言いながら、口元で笑顔をつくって見せた。修二は少し驚きながらも、その穏やかな笑顔に不思議と心が安らいだ。
「ええ、昔祖父に教えてもらって以来、この華美じゃなく風情のあるところが好きになりました。久しぶりに見たので懐かしくて」
「そうか。良い時期に来たな。吾亦紅が咲くとそろそろ稲刈りの時期だっぺ」
サングラスの男は優しく花を見つめながら続けた。
「それにしても、あんたも墓参りか?最近このあたりじゃ、若い者はあんまり来ねえから。珍しいな」
「ええ、祖父がこの村に住んでいて。毎年、夏になるとよく遊びに来てました。今日はその墓参りです」
修二がそう答えると、男は頷きながら籠を持ち上げた。
「そりゃえらいな。家族やご先祖さんは大事にしねえとな。
ところで、これでも持っていくか?山で採ったキノコだ。あんたんとこのじいさんも好きじゃったやろ?」
修二は少し驚いた。初対面のこの男が、どうして祖父のことを知っているのだろうか。
「え、祖父のことをご存じなんですか?」
男はにやりと笑ってサングラスを少しずらした。その目元には、どこか見覚えのある優しい目があった。
「まあな、昔からこの村にいるしな。お前さんのじいさんとは長い付き合いだ」
「そうなんですか…」
修二はなんとなく心が温まるような気持ちで、男からキノコの入った籠を受け取った。
村人同士の温かい交流を感じ、祖父がこの村を愛していた理由が少しわかった気がした。
「ありがとうございま…」
言いかけたその時、目の前にいるはずのサングラスの男が、いつの間にかいなくなっていたのだ。
辺りを見回しても、その姿はどこにも見当たらない。
「おかしいな…」
しかし、手に残る籠は確かに重みを感じる。本当にあの男がいたのか、少し不思議な気持ちになったが、修二はそのまま村を後にした。
その日の夜、修二は自宅で母にその日の出来事を話してみた。すると、母は驚いた顔をしてこう言った。
「サングラスをかけた男…それって、もしかしておじいちゃんじゃないの?」
「え?ちょっと、やめてよ」
「いや、おじいちゃん、若い頃からずっとサングラスを愛用してたのよトレードマークって言われるぐらい。ほら、これ」
そう言って母が見せてくれたのは、昔の祖父の写真。
そこには、真っ黒ではなく少し色のついたサングラス姿で、若かりし頃の祖父が写っている。
「これ、確か私が中学生ぐらいの頃よ。だからおじいちゃんは多分、40代ね」
修二は思わず息を飲んだ。
写真の中でポーズを決める若き日の祖父は、今日村で出会ったあの男とそっくりだ。いや、あの男が写真の祖父にそっくり、というべきか。
もしかすると、あれは祖父だったのかもしれない。そう考えると、不思議と涙がこぼれた。
その年の晩秋、修二は再び故郷の村を訪れた。
今度は母と一緒に、あの吾亦紅が咲いていた場所へ。花はすでに枯れていたが、心の中には祖父との再会の記憶が鮮やかに残っていた。
「ありがとう、じいちゃん」
天高い秋空を見上げていると、少し冷たい秋風が二人の頬を撫でた。修二はマウンテンパーカーの襟を立てて、ボソッと呟いた。
「母さん、俺もサングラス、かけようかな。じいちゃんの孫だから、似合うよね、きっと」