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【短編】 オポロテジュマキュラーべ

夜の静寂に包まれた森の中、ひとつの奇妙な植物がその存在を主張していた。
この花が咲いた姿を見た者は、その神秘的な美しさに心を奪われ、二度と現実世界に戻ってこられなくなる言われている。

「オポロテジュマキュラーベ」
この地域ではそう呼ばれていた。

その花が咲くと言われる新月の夜、ある学者が森に足を踏み入れた。
彼の名は佐藤秀一、自然界の謎を解き明かすことに生涯を捧げた植物学者である。
オポロテジュマキュラーベの存在を知り、その調査を志したのは彼がまだ若い頃のことであった。
しかし、この花の存在を示す確かな証拠はなく、それが伝承に過ぎないとされてきた。

「もし本当にこの花が存在するなら、その秘密を解き明かせば、人類の自然への理解が大きく進むに違いない…」

そう思い続けた佐藤は、弟子と共に数十年にわたり調査を続け、ついにその手がかりを掴んだ。
ある地方の森の奥深く、普段は人が立ち入ることのない禁断の地に、この伝説の花が咲くというのだ。彼はその情報をもとに、単身で森へと向かった。

森がより深く、緑が濃くなるにつれて、佐藤の心は高鳴りを増していった。

そして、ついに目の前に現れた一輪の花。
それがオポロテジュマキュラーベであることに彼は確信を抱いた。

漆黒の夜空の下、微かに光る花弁が幾重にも重なる花をスプレー状に、そして鈴なりにつけていた。

「これが、オポロテジュマキュラーベなのか」

佐藤は息を呑んだ。
その美しさは、彼がこれまでに見たどの花とも違う、異世界のものなのかと思ってしまう程であった。
花弁は上品に輝き、触れると柔らかな感触が指先に伝わった。しかし、その瞬間、佐藤の視界がぼやけ、意識が遠のいていくのを感じた。

次の瞬間、佐藤は突然、自分が別の場所に立っていることに気づいた。
それは見知らぬ空間であり、今いた森の中とはまるで異なる風景が広がっていた。
混乱し、目をこすりながら、彼は周囲を見回した。そこには、膨大な量の植物標本や研究ノート、そして研究者の佐藤ですら見たこともない植物が整然と並べられていた。

「これは…夢か?それとも幻覚か?」

佐藤は疑ったが、すべてがあまりにもリアルであり、肌に感じる温度さえも現実のものに思えた。その時、背後から声が聞こえた。

「ようこそ、佐藤博士。我々をずっと調べていましたね?こちらも貴方を待っていましたよ」

振り返ると、そこには奇妙な姿をした者たちが立っていた。

彼らは人間の形をしていたが、肌は植物のように緑色で、目はまるで森の中に棲む生物のように光っていた。

「あなた方は…誰だ?」

佐藤が問うと、彼らの一人が答えた。

「我々は、この世界の真の守護者、オポロテジュマキュラーベの民です。」

佐藤は驚愕した。
しかし研究を続ける中で、「オポロテジュマキュラーベがただの植物ではなく、しかも現時点で未確認の生命体と何らかの関係がある可能性を否定できない」という仮説を持っていた佐藤は、同時に嬉しくもあった。

「あなたが見つけた花は、ただの植物ではありません。それは、こちらのエリアへの扉なのです。私たちは破滅に向かう貴方たち人間とは、異なる生存戦術を取っています。絶対に共存は出来ませんので、エリアの行き来は厳重に管理しています」

オポロテジュマキュラーベに佐藤が触れたことでその通路が開かれ、彼はこの異世界に導かれたのだ。

「あなたには選択が与えられます。このまま我々の世界に留まり、我々に力を貸しながら永遠の知識を探求するか、それとも元の世界に戻るか。」

佐藤はしばし沈黙した。
彼が研究者として打ち込んできた物のすべてが、この世界にあるのかもしれない。しかし、もとの世界に戻れないとなると話は違ってくる。
彼が現実世界で築き上げてきた人生や家族、友人を思うと、その選択は決して簡単ではなかった。

「ここに残ろう」
佐藤は自分でも意外だと感じる決断を下した。
もはや研究内容が世に出せないという事など、大した問題ではなくなっていた。
「知りたい」「知識を深めたい」
筋金入りの学者として、ただその欲求に抗えなかったのだ。

彼が見たものが何だったのか、それが本当に異世界への扉だったのか、それとも単なる幻想だったのか、答えは誰にも分からない。
ただひとつ言えることは、研究者・佐藤秀一の探求はこれからも続いていくだろうということであった。
「では、こちらへ」
オポロテジュマキュラーベの民に促され、佐藤は目が眩むような光の中に消えていった。


佐藤が消息を絶ったあと、捜索隊が森の中心部に佇む大きなニレの木
の根元部分に、刃物で彫ったような「S」の文字を発見した。

「佐藤」あるいは「秀一」の「S」ではないかと、家族や職場の仲間の要請もあり、周辺を徹底的に捜索が行われた。

しかし手がかりは得られなかった。
誰もが諦めかけているなか、研究室の奈良だけは密かに違う見解を持っていた。
「楡の木って、確か【生命と永遠の知恵の象徴】だったはずだ。他のみんなは知らないだろうけど、一番弟子の俺だけは教授から(仮説)を聞いていた。オポロテジュマキュラーベと未確認生物の関係について、教授はきっと何か秘密をつかんだに違いない。だた、事前に決めておいたサインが、(探しに来い)を示すCome on の【C】じゃなく、なぜ【S】なんだ。分からない。なぜ【S】なのかを解明するまでは下手に動かない方がよさそうだな」

研究室の窓を頭上から見下ろす、大きな銀杏の木の枝には擬態した「オポロテジュマキュラーベの民」の姿。

「さすがは教授の一番弟子。かなり頭が切れると見た。真実にたどり着くのも時間の問題だ。だがこちらも種族の命運がかかっている。先回りして手を打とう。そう簡単にはいくものか。お前たち人間は滅び、我々が生き残るのだ。それと、【S】の文字は絶対に分からないはずだ。《森の神秘》を意味する、《シルヴァグリム》の【S】だからな。」




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