「面白きこともなき世に面白く」 住みなすものこそ、よく生きるらむ
「面白きこともなき世をおもしろく住みなすものは心なりけり」
高杉晋作辞世の句と言われている句であるが、実際には慶応2年に詠まれたもので、高杉晋作が亡くなったのは慶応3年4月14日であり、亡くなる際に詠まれたものでないということだそうだが、まあそれは構わない。
そもそも人間これから死のうかっていうときに悠長に句など詠んでいられるものではない。だからほとんどの辞世の句というのは、死ぬ間際ではなくてその近辺に読まれたもので、辞世の句というに相応しい、その人物を象徴するような句であればよい、というのが本当のところだろう。
またこの句は二人の合作で、「面白きこともなき世をおもしろく」という上の句を晋作が読んだ後、幕末の女流歌人野村望東尼が「住みなすものは心なりけり」と続けたという。
松下村塾でもっとも非凡な才能の持ち主であったと言われ、満27歳という若さで肺結核で亡くなった高杉晋作、奇兵隊という最強部隊を組織した高杉晋作、「三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい」という都都逸を作った高杉晋作に初めて興味を持ったのは私が高校生の頃であった。
10代にとっての死生観:希望もしくは先延ばし可能な展望
「面白きこともなき世をおもしろく住みなすものは心なりけり」
高杉晋作という人物を想像すればするほど、これほど晋作に似つかわしくない句も珍しい、と当時、まだ高校生の頃の私も思ったもので、「住みなすものは心なりけり」というのはあくまで下の句を付けた野村望東尼の死生観であって、高杉晋作の死生観ではなかったのではないかと、そうたびたび思ったものだ。
つまり「面白きこともなき世をおもしろく住みなすものは心なりけり」というのは、「面白くもない世の中を面白く過ごすのは心の持ち方次第なのですよ」ということ。
あまりにも平凡、当たり前、仏教思想をそのまま語っているだけじゃないか。「三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい」という艶っぽい遊び心がそこにはない。あまりにも普遍的な真理過ぎて、そんなつまらないことを、高杉晋作ともあろうものがわざわざ詠むだろうか?
もちろん「住みなすものは心なりけり」であることに間違いはない。それは真理である。そして別の「○○なりけり」という言葉も見つけることが出来なかった。だから晋作も野村望東尼を否定はしなかったのだろう。
だがしかし、もし野村望東尼が「住みなすものは心なりけり」と続けなかったら、晋作はなんと続けただろうか?そして私ならなんと続けるだろうか?私にとっての「面白きこともなき世をおもしろく」するものは何であろうかと考える日々が続いた。
『未来への興味』『変化への希望』
当時、高校生の私が考えた、私にとっての「面白きこともなき世をおもしろく」「住なすものは・・・」の答えである。
世の中は実に面白くない、世界というものは実にくだらなくできている。お釈迦様も生きることは苦しみであるといった。それでもなお、生きなければならないとするならば、この先生きて世界がどのよう変わっていくのか、それを見てやろう。面白い世の中になっているとでもいうのか。
それが私の答えだった。実に挑戦的である。
そして今振り返ってみると、実に羨ましい。
思春期を生きていて自分自身の変化を内に感じ、それがゆえに社会の変化も肌で感じる時代。これから先の、自分の未来が永遠であると感じることが出来る年代ゆえに、未来へと希望を先延ばしにつなぐことが出来るのだ。
世界が苦しみで満ちていようと、面白きこともなき世だと感じていようと、まだ未来があることを感じていて、ほんの僅かだとしてもまだそこに僅かな希望を投げかけることが出来た年代だったのだから。
それが若さというものだった。
30代にとっての死生観:虚無そしてオートマチックな感情
「面白きこともなき世をおもしろく」住みなすものは何なのだろうか?
という問いは人生に何度もぶり返す流行り病のようなもので、仕事や恋愛、環境の変化や趣味・娯楽、忙しく何かに熱中している時には全く頭の片隅にも浮かばないものだが、人生につまずき、停滞して、身動き一つ取れず、死すら頭をよぎる時には必ず頭の中に黒雲のように湧きおこる。
この世界は確かに「面白きこともなき世」であり、「生きることは苦しみ」なのであるから仕方がない。
私が調度30歳になる頃も人生の谷底であった。自分ではどうにもならない苦境の中にあって、後悔と失意のどん底で、この生活から逃れたいと思って鞍馬山に登った。
生きることは苦しみである。まさに「面白きこともなき世」である。いや、それ以上だ。
それなのに「住みな」さなきゃいけないんですか?別に「住みな」さなくてもいいんじゃないですか?
「この世の中を面白くするのもしないのも、あなたの心の持ちよう次第なのですよ」だって?そんなことは分かっている。しかし、絶望し死を考える人間にそんなことを言って何になる?冗談じゃない。そんな説教臭いことを言われるくらいならお釈迦様なんてくそくらえだ。
生きることが苦しみなのに、もしそれでも「住みな」さなくてはいけないのなら、そこには「住みなす」理由が必要なのだ。それも個別具体的な、その人にとっての決定的な「何か」が。
一体私はその「何か」を見つけることが出来たのか?
その日私は丸一日鞍馬山を彷徨ったが、結局その「何か」を見つけることは出来なかった。
その代わりに天狗が憑いて私は考えることを止めた。
人間、考えると先に進めなくなることもたくさんある。そういう時は考えることを止めて体だけを動かすのだ。散々考えた末なら、自動で体が動いて全てを解決してくれる。
この時の話は置いておこう。
いずれにしても30代の私は「面白いこともなき世をおもしろく」「住みなすものは・・・」何なのか。その答えを見つけることが出来なかった。いや、ともすれば、『何も考えないこと』が答えだったのかもしれない。
『何も考えないこと』もまた、生きるための真理である。
「面白きこともなき世をおもしろく」「住みな」そうと考えることがそもそもの間違いで、別に無理しておもしろく住みなす必要はない。何も考えずただ淡々と機械的に生きることも時には必要である。感じやすい心を封じれば少なくとも生きてはいけるのだ。
子供にとっての死生観:本能。まぎれもない真理
人は生きているから「生と死」について考える。死にかけている人間にそんな余裕はない・・・というのが私の持論であったが、それほどでもなかったらしい。もちろん悠長に辞世の句など捻っている思考力などないが、その代わり一瞬にして「生と死」について考え、明確に答えを出す。
私が子供の頃、まだ10歳になったばかりの頃だっただろうか。一度死にかけたことがあった。
いや、死にかけた、と思ったのは自分だけで、傍からみたらそれほどでもなかったのかもしれないが、ともかく死にかけたと思ったのは確かだ。
自転車を猛スピードで漕いでいて、近所の道の大きくカーブした見通しの悪い通りを一直線に突き進んでいた時、道が開けた瞬間に前から走ってきた小型トラックに正面から突っ込んだ。
衝撃と伴に私の体は宙に舞い上がり、そして私は人生の走馬灯を見た。
「スゲー!死ぬ時には人生の走馬灯を見るっていうけど本当だったんだ!」私は心の中で叫んでいた。空がきれいな虹色にそまっていて淡い光が目の前に広がっていた。「ああ・・・あそこに行くんだな・・・」と思った瞬間「あれ?もしかして死ぬってこと?」と気が付いた。
「短い・・・つまらない人生だったな・・・」「いや、ちょっと待て!」「自転車でスピード出しすぎてトラックと正面衝突とか、そんなくだらない死に方嫌!」「私はまだ何もやっていない。こんなつまらないことで死ねるかーーーー!!!」
その瞬間ドサッと道路の隅に投げ出された私は目を覚ました。そしてまん丸に目を見開いて、凍り付いたように運転席からこちらを見つめるトラックの運転手と目が合った。
「人間あまりにも驚くと、固まって動けなくなるもんなんだな」
私と目が合いつつも、ちっとも助けに来ない運転手を見て、何故か冷静にそう思った。そして、私は立ち上がると、どこからも血が出ていないことを確認した。
そうすると急に現実に戻った。
「お母さんに怒られる!」
今の子供もそうなのだろうか?当時の私にとって一番マズイことは、交通事故にあったことではなくて、そのことを知られて親に怒られることだった。
とにかく急いで家に帰った。自転車は車にぶつかった衝撃で、前の車輪が車体に食い込むようにすっかりひしゃげてしまっていたが、それをずるずると引きずりながらともかく急いで家に帰った。
もちろん、家に着いてそのままばったりと倒れた。
全身を貫く痛みに身動き一つ出来ず、高熱でもうろうとしながらも、じっと布団に横たわってひたすら耐えた。涙をポロポロこぼしながら。
全身打撲ってやつだ。
この時のことを再び思い出したのは、同じように高熱を出して、全身を貫く痛みに身動きも取れず、涙をポロポロこぼしながら、ひたすらベッドの上で耐えていた時だった。
つまり、50歳になって卵巣ガンかもしれないと言われて行った手術で、本当に卵巣ガンだったらしく、目が覚めたら30センチも腹を切られていた時の話である。
50代にとっての死生観:アガペーあるいは絶対他力
「卵巣ガンかもしれないし、卵巣ガンじゃないかもしれない。卵巣がんんじゃなかった場合はお臍から下を開腹して、卵巣・卵管と子宮を摘出します。卵巣ガンだった場合は、そのままみぞおちまで開腹してリンパ節と大網まで摘出します」
と言われて、体調から考えても多分卵巣ガンなんかじゃないだろうと甘く考えていた私は、はっきり言って手術を舐めていた。
全身麻酔から覚めた後、ガンであったことが告知されたわけだが、手術室からHCUに移動して、いまだ麻酔でもうろうとする中、自分の傷口を確認した。
それはガーゼに覆われていたが、その傷口の大きさは理解出来た。
こんなにざっくりとやられたんじゃあ、そりゃ痛いはずだ。
麻酔が効いている間は意識がもうろうとなるが、痛みは耐えられる。しかし、麻酔が切れてくると意識がはっきりとしてくる分、凄まじい痛みが襲ってくる。
手術が終わったその夜、私が痛みで目を覚まして苦しがるたびに、看護婦さんが麻酔を追加していたのだろう。私は意識の覚醒と混濁を繰り返し、それと同じように激痛と鈍痛を繰り返していた。
そして、その波の中、そう言えば昔同じような全身の痛みを感じたことがあったと思い出した。子供の頃の事故だ。あの時も痛かった。
私はあまりの痛みで涙をポロポロとこぼしながらも、その代わりに働き始めた頭を使い始めていた。
生きることはまさしく苦痛である。ガンであったというショックは鈍く私の心を鷲掴みにしたが、それ以上に全身の痛みが直接的に私を苦しめた。お釈迦様は正しい。まさしくこの世は苦痛以外の何物でもない。何しろ半端なく痛いもの。しかし、この痛みを感じなくなったとしたら、それはまさしく死ぬ時なのだ。
私はこのまま死ぬのだろうか?もしこの痛みが永遠に続くのならきっと死んでしまうだろう。私はそんなに強く出来ていない。よくスパイ映画などで拷問に耐える訓練とかあるが、私は拷問される前に、もうなんでも喋っちゃうだろう。私はそういう人間だ。
ベッドの中でそんなことを考えていた。
つまり、とにかくもう本当に痛かった。そして思い出した。本当に「面白きこともなき世」だな・・・と。
ガンだったし、痛いし、死んじゃうかもしれないし。
そして涙をボロボロとこぼしながら思った。「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」・・・と。
そして、また思い出した。手術が終わってHCUに運ばれる私のベッド脇に必死についてきていたモイチ(主人・仮称)の姿を。
HCUの中で一生懸命明るく私に話しかける、モイチ(主人・仮称)のこわばった微笑みを。
ああ・・・やっぱりまだ死ねないな。私が死んだらモイチ(主人・仮称)はさぞや困るだろう。モイチ(主人・仮称)が死ぬまで私は死ねない。
「面白きこともなき世をおもしろく住なすものはモイチ(主人・仮称)なりけり」
ふと思い出してちょっと笑った。
そんな単純なことでいいんだろうか?
そもそも私は「面白きこともなき世をおもしろく」「住みなすものは心なりけり」というように、住みなすものは「心」のように自分の中にあるものだと考えていた。自分自身の支えになるもの、自発的に望む何か。だからずっとその何かを自分の中に探していたのだ。
しかし、住みなすものが「モイチ(主人・仮称)」であったのなら、まるっきりの他力本願である。他人の存在が自分を生かすのだ。見当違いのところを探していたことになる。
しかし、麻酔が効いてきてぼんやりしてくる頭の中で、それでいいんだと気が付いた。
自分自身の中に自分を生かすものなど何もない。だって、この世界は苦しみであり「面白きこともなき世」なのだから。だから、せめて他人を面白くしてやろうと思って生きるのだろう。
そして、誰かに必要とされているという感覚、それが「面白きこともなき世」を唯一「おもしろく住みなす」ことが出来る手段なのだ。
子供のころのように、「私はまだ何もやっていない。こんなつまらないことで死ねるかーーーー!!!」とまでは思うことはなかったが、「モイチ(主人・仮称)が死ぬまでは死ねない」とは思った。
だから、自分の寿命がどこまであるのかは分からないけど、「生きている間は頑張って生き続けよう」と決めた。この世は苦しみで「面白きこともなき世」だけど。そして自分のために生きるわけでもないけれど。
それに、よく考えたら多分ほとんどの人がそうやって、自分の為じゃなくて誰かのために生きているということに気が付いた。子供を持つ親、愛するものを持つ恋人、両親を慕う子供も、多かれ少なかれ皆「面白きこともなき世を」誰かのために生きている。
「誰かのために生きている」ってなんかええかっこしいだし、つまらない生き方だと思っていたけど、そうでもない。単純でありふれているものの中にこそ真理はある。
そうして私は死なないことになった。
モイチ(主人・仮称)の為に死なないことを決めたなら後は簡単である。傷の痛みも、心の痛みも回避するすべは知っている。つまり余計なことは何も考えるな。ただ淡々とやるべきことを機械的に行え。過去に何度も死について考えていたことは着実に私の力になっていた。
やっぱり「住みなすものは心なりけり」:(とは言いたくないものだ)
もちろん「誰かに必要とされているという感覚、誰かのために生きなければならないという感覚」そのものも自分の「心」であることは間違いない。
それどころか、「こんなつまらないことで死ねるかーーーー!!!」という心の叫びも、「何も考えない」というあり方も、心の持ちようである。
つまり間違いなく「住みなすものは心」なのである。それは間違いなく真理で、やっぱりお釈迦様には勝てない。
でも「心なりけり」と言ってしまうと、それが真理であるがゆえに面白くない。人間というものは歳月を追うごとに変化するのだ。その時々の「何か」がその時々の自分を物語る。
そう、だから野村望東尼が続けた「住みなすものは心なりけり」ではつまらないのだ。
ちなみに高杉晋作が詠んだのは、「面白きこともなき世『を』面白く」ではなくて「面白きこともなき世『に』面白く」であるという説があるが、個人的には『に』の方が正しいような気がしますね。
27歳の高杉晋作なら「面白きこともなき世におもしろく」と言っただろうと思うから。その方が若々しく、破天荒だ。敢えて悟らないみずみずしさとそれがゆえの無限の可能性がある。
そしてその答えもすべての人の心の中にいくつもの形として存在しているのだ。
もちろん、あと20年もたったら私の答えもきっと変わっているだろう。ことによっては「心なりけり」と言っているかもしれない。出来ればそうはなりたくないものだが。
70歳ではまだ悟るには早すぎる。