分からないことを一緒に考えてものをつくるひとたち
全く違う分野だと思うが根底に共通する物を感じた。そしてそれは多分、「効率化」が流行った(?)時代を経て、ここを捨ててはいけないと戻ったものが手に入れられる勝利という気がする。
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最近全く違うベンチャーのEV(電気自動車)を買うことにしたことで、改めてテスラ社という会社の、このEV業界での強さを知る今日この頃だ。
テスラは車の会社というより エネルギーを売り物にした会社だと私は思っているのだが、先日あった投資家向けの発表のなかで「各部品を下請けに出すとき、テスラ社のエンジニアがtier 6の会社まで出向し、問題の解決を共にはかり、時にアドバイスをしたり周りの部品会社との調整をしたりしている」という話があったのに感心した、だからエネルギー関連の会社になり得るのかと。
言葉のことだがtier 6、日本語だと第六層、となるのだろうか。直接の部品の下請けを第一層として、孫請けが第二層、ひ孫請け(というのかは知らないが)が第三層・・・という感じで第6層の会社まで、ということだ。
これは実際すごい事だと思う。相手の分野だからと任せっきり、あるいは「注文したっきり」にしない。出来ること、出来ないこと、改善できそうなこと、それらを中枢から末端(tier 6っていうのは本当にすごい)までしっかりまとめ上げているひとたちがいつもいるということだ。別の会社だけれど繋がっている、というのは、ちょっと間違えると強権発動もおきてしまうだろう。
現在EVでテスラが独走しているのは(もちろん政府を上手く味方につけたというのもあるが)、この会社が直接関わるリチウムバッテリーのリチウム精製からバッテリーへの充電機能、さらには再生可能エネルギーをどのように再分配するかの計画(世界中にある充電ポイントネットワーク)のすべてが上手く動いているからだと、他社のEVの使い方を考え始め比べてみるとよくわかる。
どんなにクルマ自体の性能が良くても、EVは充電場所が確保されないなら、あるいは充電速度が許せる範囲になければ、使い方の範囲は急激に狭まる。これはEVに日常で乗ってみて初めて分かることだとは思うが、テスラはこの問題を2018年のモデル3(初の大衆車をねらったモデル)を発表する前にある程度準備を終えていた。
よくここまで予測していたなぁと、2018年に1ユーザーになって以来ずっと思っていたが、違うのだ。製造レベルで既に「みんな」が考えていたのだろう。その仕組みは恐らく、この血液が全身にまわるが如く連携がきちんと取れていたから生まれてきたことなのだろうと今はわかる。
自動車会社に限らず、多分ものづくりの場というのは昔はそうだったのではないか。完成形に向けてどういう工程を経てどういう問題が起こるかを知っていくからこそ、分からないことを共に考えていくからこそ、磨かれていく技術とか。上手くいかないところを最終的なものを作るひとたちと協議しながら試行錯誤するのは、お互いの視点からの必要条件・十分条件のすりあわせであり、無駄に時間がかかるように見えることもあるのだろうが結局は近道を作り上げることなのだろう。
専門分化させるだけでは上手くいかなくなる、というのはどの世界でも言えることで、無駄にみえる地味なやり取りこそがイノベーションへの近道だったりする。
逆に言えばこれはアメリカでのGMという巨大企業がEV分野で先に進めなくなってきた理由でもあるだろう。シロウトが何を言う、と言われるかもしれないが、当たらずとも遠からずなことは多いと思う。
丁度こんな記事を見た。ここに書かれている厳しいと言われる宮大工の世界で大事にされていること(小川三夫氏が大事にされていること)は 昔から理由があって大事にされている理由を理解した上で踏襲されているとも言えるのかもしれない。
特にものを作るというのは連係プレーの賜なのだと思う。そこに「どうしてこういう要求がされるのか」を考えることがなくなったら成長はなくなる。それぞれが育つ環境をつくり、一緒に考えたり自ら考える機会を奪わないこと。
それは無駄ではなくて洗練という領域への近道なんじゃないだろうか。