回らなくなった独楽
私は「独楽」。機械で木から削り出され、何千と独楽をうみだしてきたゴツゴツした手によって、最後は一筆、また一筆と私だけの色を乗せられた。
そのままでは少し複雑な色が控えめにのった独楽としかみえないのに、回したときにのみ現れる美しさをそのひとは十分に考えていたのだろう。
「出来上がった。」
最後の一筆を下ろして、そのひとは私をそっと独楽回しの台の上にのせた。親指と人差し指で軸をつまむと少しだけ回した。漆黒の漆をのせたようなその台のうえで、ほんの少しの間私は「独楽の遊び方」を教わった。そのひとの目が柔らかく細くなり、私に現れる色が唯一無二で美しいことを その人の黒目に映る自分の姿を見て知った。
高速回転しているときが、一番エネルギッシュでちょっとやそっとでは倒れない、安定した状態になる独楽。店頭に並べられ、一見地味なのに回すと華やかさを現す独楽に、沢山のひとがほぅっとため息をついた(値段もみて、さらに小さくため息をつく人もいた)。
あるとき、独楽の軸に 柔らかく滑らかな指が触れた。男の子のてのひらのうえで、独楽も自分の木肌にしっくり馴染むものを感じた。そのまま軽く独楽を回し、その男の子はそれまでわたしに触れた他の客のようにほうっと、うっとりしたようなため息をついた。何度も、やわらかく回転させてみて、値段をみて彼は1度離れた。でもすぐ他の客の手にとられた独楽を遠くから心配そうに見ていた彼は、その客が独楽を台に戻した瞬間にこちらに足をむけなおして近付いた。
「これ、ください」
少年はおサイフをポケットから引っ張り出しながら店主に声をかける。
「これ、とてもいい独楽だよ。美しくて良く回る。いいのを見つけたね」
わたしに一筆ずつ控えめに色をのせてくれた店主は、丁寧にわたしと、無駄な装飾のないすっきりした独楽台と一緒に紙の袋にいれて、少年の手に渡した。
独楽として生まれ、この少年に大事にされて、わたしは幸せだった。いつでもわたしは高速で安定して回り、回転速度で少しずつ色をかえるわたしを少年は飽きずに見つめ、家族や友達に滅多に見せることもせず自分で楽しんでいた。わたしはそれでよかった。いや、それがよかった。回り続け、この子を嬉しがらせ、そんな自分が大好きだった、この子のことも大好きだった。
わたしはウチに外にエネルギーを振り撒き 力強く立ち続け さらにエネルギーが湧いてくるような独楽だった。自分の使い方を知り効果的に自らを役立てる術を知っている、それは独楽としてのわたしの最高に満たされた時間だった。
ある日、少年の机にほかの玩具が乗っているのにわたしは気付いた。ぴかぴかでカラフルで、動くと光るその玩具に、明らかに彼は傾倒した。きっと彼はすこし大きくなったのだ。
「もう、この独楽どこかに仕舞っておく?」
少年の母親がある日、うっすらとホコリを被った私を見て言う。
「ううん、そこにあるだけでも綺麗でしょ、僕それ好きなんだ」
そういって、彼はわたしを机の上で回した。中央に向かって傾斜のついた滑らかな独楽台とは違って、机の上は平らにみえて小さい凸凹があり、それらに引っかかり少しバランスを崩し勢いがついたまま わたしはそこにあった新しい玩具にぶつかり、自分の回転の反動で床に落ちた。
「あ・・・お母さん、僕の独楽が割れちゃった!」
彼の半泣きの頭を母親はぎゅっと抱き寄せて
「木工用ボンドがあったとおもうわ、あとで直しておいてあげる」といった。
変に化学系の匂いのするボンドなるものを付けられ、わたしは外見こそ元通りになったが、ビミョウにバランスが崩れて前ほど回り続けることはできなくなった。それでも少年ははみ出したボンドを目の細かな紙やすりで削り落とし、一生懸命もとのわたしになるように時々やすりをかけたりラッカーなるものをかけたりした。
そして長い間独楽はギリギリの速度で回り、いま回転をやめた。ただそこに置かれた独楽はちょっと吹く風にも向きを変えてしまう。それでも、その独楽らしさのなくなった存在で、世の中の風や太陽の光を感じ愛でることもできるのだ、とわたしは理解しつつある。ホコリにまみれ、玩具の独楽として使われなくなって そんな世界もまた愛おしいと気づき始めている。窓から差す午後の日射しに温みながら、回らない独楽は「インテリアのひとつ」にもなると気付いたわたしは、インテリア、という表現に自嘲的になりながらその自分の存在を斜め上空から眺めている。
わたしは回りながら色を変える自身の姿を愛していた。独楽としての美しさを知っていた。
でも今は回れないけれど、大好きな少年だったひとの手元にこうしておいて貰っている。彼はごくたまにだけれど、本棚の文庫本の前にちょこんとおかれたわたしを手に取って、眺めたり撫でたり、なにも考えない目でわたしを回し、かつてより少しくすんだその色を 昔のような無垢さが薄らいだ瞳でぼんやり眺めている。
男の子はただちょっと欲張りで、ただ少しわたしに飽きただけだ。高速で回転して安定する独楽を見るのは好きだったのに、美しく回り続け何もいらないようにみえる独楽を「何もいらないんだ」と勘違いした。回転の力で背筋を伸ばす独楽じゃなくてイマドキなカラフルなプラスチックと時々光る新しい玩具に目移りしただけだ。
わたしが割れたのは わたしが木を切り出してつくられた脆い玩具だからで、誰のせいでもない。彼はその壊れたわたしを直し、少しでも以前のようになるように、いや、彼なりの考えで最善の状態になるようにしてくれたではないか。
もうプラスチックの玩具などなくなった彼の部屋で、わたしは今も彼の安らぐ空間に場所を与えられている。本棚から本を取り出すとき、本を返すとき、わたしと目があうと彼はほんわりと目に笑みをみせて指先で触れてくれる。
独楽としての仕事はもうないわたし。むしろゴミにちかいかもしれない。
でも 店でわたしを見つけたときの彼、あの小さい古くなったおサイフの中身の殆どを躊躇わず引っ張り出してわたしを手に入れてくれた彼のことを、そのきもちをわたしは大切に思っている。壊れてからも思いつく限りの方法でわたしを直してくれたことを覚えている。
インテリアのひとつとして ただ在るだけのわたしになった。でも在ることで、彼の少年の頃のこころを預かっておいてあげられるなら、それがわたしの今の仕事だろう。もうすこし、その仕事をつづけていいってことだろう。