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#ルート66の旅 (1)
『そもそもルート66ってなに』
— たなかともこ@ツレヅレビト (@tomoko_kana) December 5, 2022
アメリカで自動車が増え人々の移動が増えた時代に
8州(イリノイ、ミズーリ、カンザス、オクラホマ、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニア)を経由する2千マイル(3200km)強の「モーターロード」ができました。
1926年のことです。#ルート66の旅
2.『the Motor Road ルート66のはじまり』
— たなかともこ@ツレヅレビト (@tomoko_kana) December 5, 2022
1920年代といえば第一次世界大戦後アメリカでは禁酒法が出て、
すでに高層ビル立ち並ぶシカゴではそれを利用した形で アル・カポネが活躍?していた時代。
とても景気の良い時代で、国の政策として大陸東西を結ぶこの道は整備されました。#ルート66の旅
(ツイートに慣れてないのがバレる、日本語の酷さよ・・・失礼しました。)
3.『なんで有名なの?ルート66』
— たなかともこ@ツレヅレビト (@tomoko_kana) December 5, 2022
ルート66(双子のSixes、とも呼ばれます)はその頃から
「誰にとっても何かがある場所」と言われていた。
’自由’が形になってそこにある、とか
’有名な20世紀の象徴たる アメリカのロードサイド‘
として。。。#ルート66の旅
4.『アメリカ映画に出てきそうなロードトリップができるんでしょ?』
— たなかともこ@ツレヅレビト (@tomoko_kana) December 5, 2022
日本人にも「ルート66」は聞き覚えくらいはある。
ただ3200kmって、日本列島を南北に測った距離以上。
時間と相談して、狙った場所をゆっくり下道で走るのが面白いかと思います。#ルート66の旅
5.『ルート66が出来るまで』
— たなかともこ@ツレヅレビト (@tomoko_kana) December 5, 2022
まだ自動車での長距離移動は難しかったからこそ作られた道。1926年、US66として既にある名のない道を繋いで作られたのです。
道路はほとんど未舗装で、所々にある数kmのレンガ敷きのところは有名なくらいでした。(現存している場所もある→写真)#ルート66の旅 pic.twitter.com/yFmDVQtO9a
昨日の記事で触れましたが、自動車がだんだん一般のひとにも使われるようになってきた時代、それが1920年代後半。
1930年頃にはグレートプレーンズでの土壌浸食(風食)のため、オクラホマ、カンザス、テキサスからカリフォルニアに仕事を探して移住するひとたちがルート66を使いました。スタインベックの映画「怒りの葡萄」で描かれていたのはまさにそのあたり。
交通量の増加で1930年代にはいくつかの大きなルート変更がされます。そして1950年代に入ると州間高速(インターステート)が整備され始め、1985年には正式にルート66、国道66号線は廃線となります。映画Carsで出てくるラジエーター・スプリングスの話そのまんまですね。(あの映画のインスピレーションを与えたという有名なDelgadillo's Snow Cap Drive-InはセリグマンSeligmanという町にあります。トップ画像はそのドライブインの中。名物店主と話すのは楽しいですよ)
・・・・というバックグラウンドをまとめて書けないTwitterですが、いくつかずつ上げていきます。
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