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季節が薄い街

ロサンゼルスという街には冬がないらしい。
私の感覚で一番寒くなりそうなこの時期に、最低気温がやっと10℃を切ってきたくらいだ。日中なら普通に20℃を超えてくる。「今日ちょっと寒いね」と人々が上着を羽織る日でも最高気温が17℃とか。

当然みんな薄着だ。
この時期でも日中ならTシャツとか、タンクトップとか、そんな服装の人も少なくない。
だからなのか、ほんの少し気温が下がると嬉々として?ダウンジャケットなんかを羽織っている人を見る。こちらが暑くないのかと心配してしまうくらいだ。

街を歩けばいつも花がある。個人邸の庭にはいつも緑が茂り、街路樹も「この木は常緑樹だった?」と首をひねるくらいいつも青々としている。カリフォルニアの日差しの中に緑はいつも美しく輝く。

昔 沖縄に住んでいたことがある。
そこでも冬は 水の中に冬というインクを一滴二滴垂らしただけの季節だと思ったが、当時は忙しい仕事をしていたのでそれほど季節のことなど考える余裕もなかった。ただ、冬が、冬のファッションが、冬の景色や空が好きだった私としては物足りなかったことは覚えている。


そう、冬という季節を愛しているのだ、私は。
確かに寒いのは体に楽ではない。でも昔から思っているのだ、「寒いのは服で大体調節できる。でも暑い時はいくら服を薄くしても暑い」と。(家、という外界の厳しさから自分を守る場所のことはここでは突っ込まないでください)

生き物たちが息を潜めて、命を一旦体の中に留める季節。
時に「その寒さをやり過ごす」ことしか出来ず、天気が、気温が緩むのをただ待って皆がじっと耐える。
でもそんな中に日差しが心の奥底まで温めてくれる日もあるし、空から白い赦しがちらつくこともある。
いつか必ずやってくる春を待ちわびる。色のなかった季節に春を告げるものたちの到来を夢見る。新芽が芽吹き寒さが厳しい中でも梅が咲き、他の花が続き、数ヶ月どんな生き物も命のエネルギーをひそやかに体内にとどめていたのをゆっくり開かせ始める、その美しさを夢見る。

多分、生きるということの美しさが、そこには凝縮されて見えるのだ。四季の中に生きることで、人間として生きる醍醐味というのが実は、対比できる苦しさと共にあると知ることができる。


それでも穏やかな気候を愛する人がいるのもわかる。
今自分がある意味とても平穏に、半隠居とも言えそうな生活をしているからそこを目指す理由もよくわかる。
でも「早期リタイア」とか「遊んで暮らす」とか、物質的な豊かさとかを追う人たちには「本気であなたは年中コートやジャケットのいらないところでずっと暮らしたいのですか」と聞きたくなる。

季節の薄い土地で、今の私はいろんなことを物足りなく感じている。冬にしか出来ないおしゃれを心から懐かしく思う。冬だったからこそ、の切ない思い出もある。私のために誰かが息をきらしてきてくれたことが、吐く息の白さで見えた時の心の震えも覚えている。

苦しさの中に生きたいとは思わないが、冬という時期を耐えるようなことは人生にあってもいい。というか、その季節の厳しさが、生きる体力の前に生きる技術までも伝えてくれているような気がしている。そしてその季節らしさが強く現れる時・・・寒さであっても不便さであっても、私たちはそんな中にでも美しさや心揺さぶられるものを見つける力を授かっている。

薄い冬の気配の中に身を置きながら、日々そんなことを感じている。

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たなかともこ@ツレヅレビト
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