Mind your business

さっき半分ぼーっとしながら(つまり単純なゲームをしてたんですがww)

「ひとのことはいいから」

という言葉がぐるりんっとアタマの中に入ってきました。どうやら他人をJudge(判断、こうであると決めること)するな、ってことみたい。そんなヒマあったら自分を良くすることを考えろよ、みたいな。(確かにそのとき、他人のやってることでイライラしてました、私・・・)


他人と会ったり話していたりすると、意見の相違は大抵生まれるものですよね。そのなかで自分の価値基準に触れる部分には、怒りを感じたり拒否感を感じるものだと思います。そしてその感情が出てくることはOK。自分のベースラインがどこか、が分かったと言うことだけですから。

で、ついつい、その先について来がちな【ジャッジメント(判断)】ですね。「だからあの人はダメだ」とか「信じられない!」とか・・・・


そう思いたくなる(わかるけど)そここそ、「他人のことはいいから」ってことかもしれないです。


全ての人にとって「真実」の形って違う、って話は 私が時々することですが・・・事実は1つでも(ドラマ-99.9でも言ってますよね 笑)事実=真実じゃないのです。何故なら真実にはそれを見たり聞いたり触ったりしたひとの「感情」というベースがあるから。 だとしたら、真実のことで争っても仕方ないんです。みんな違うものを見ているから。違うものをみている(あるいは、そう認識されている)ということは 世界が最初から違うってことです。


違うものをみて、違う意見が出るのは当たり前。でも私達は「違う意見=あの人は敵」みたいになりがちです。


Mind your business.


英語のこの言葉はとてもいろんな意味を含んでるなぁ、と思うんですね。直訳すれば「自分のことを(まず)考えておけ」転じて「他人のことに首を突っ込むな」 Mindはココロの所在を確認する、ってあたりですね。business、まさに自分のやるべきこと。


もとから違う世界のことをあーだこーだ言っても仕方ないです。


それは「周りの人を気にしてる時間があったら 自分自身がすべきこと、改善できることをさっさと考えてやれ」でもあり「自分の世界観に照らして許せないひとがいたときに、その人を糾弾しているヒマがあったら それを教訓に《在りたい自分》になる方法やポイントを考えろ」であり、「時代遅れな社会常識に縛られているひとのことばという手錠を自らすすんで自分にかけるな」であり・・・・いろいろなんですけど。



ここでひとつ思ったんです。多分他人の考えや行動にいらっとしたうえで 更にジャッジするのは、そのひとを「自分の世界に取り込んでいるから」とも言えます。でも 例えば自分の子供だからってジャッジしていいわけじゃないですよね、それを親にされた覚えが(あるいは勘違いが)あってトラウマになってるひとって多いですよね、わたしなんかめっちゃそうでした(考えが幼くて勘違いしてた方だけど)。

だって通りすがりのひどい運転する人に腹をたてても、「あんな運転する人間は最低だ」とかわざわざ、思います?あぶない!って思って怒りはすれど、その人はもう2度と会わない人かも・・・そこにジャッジ入れても仕方ない。それより「この道、ああいう車が多いから子供達に気を付けろって言っておかなきゃ」とか、そんな方向へいくじゃないですか。《自分の世界に本来居ない人》だから。


こうあるべき基準は 「こうありたい自分」の土台。でもそれは家族と言えど他人であるひとにはない土台です。だから基本はmind your business。


私自身、調子がわるいと他人の言葉をひきずったりついジャッジしそうになる感情に囚われたりします。うん、最近がそんなかんじだったのかなぁ。

Mind your business

ってアタマの中でぐるぐるぐるっっとしたら、ちょっと落ち着きましたよ。



ムダにストレス感じて生きなくたっていいものね。





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