つなぐもの (7)
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つなぐもの(7)これ。
みなみさんはちょっとぐるっと首を回して、今度は私を見ていった。
「結海ちゃんが多分同好会の名簿とかSNSとかで私を見つけたなら ひらがなでのみなみ、になってたと思うけど」
ああ、そうだった。確かにひらがなだった。拓海も母から音で「わたなべみなみさん」と聞いていたものだから、そうなんだなと私は思ったのだ。
「本当は漢字なの。こう書くのよ」
手許の鞄からスケジュール帳を出し、その空いたページに南海、と書いた。
「なんかほら、鉄道ですかとか、失礼なオジサンだと野球チームがあったなとか言われたし、もう最初みたとき笑われそうじゃない?実際それでいじめられたし、もう嫌で嫌で」
そう言って南海(みなみ)さんは本気で嫌な顔をしたので、思わず声を出して笑ってしまった。小中学生くらいの時は、そりゃいやだろう。南海さんは本当の正統派美人なんだけど、名前の字を持ってきて確かにからかいたくなる男子もいるだろうしなぁ。
私の笑いが落ち着いた頃、「でもね」と南海さんは続けた。
あなたの名前をあの小さな紙に見たとき、身体の中心でびりびりって、何かが走ったの。結海ちゃんの名前は初めて見たけど、苗字は知っていたし、なにより同じ文字を名前に持ってた。
あなたたち姉弟のことは知ってた、でも名前を知らなかったときはただ怖かったの。会いたくないって思ってた。もしかしたら嫌いだったかもしれない。そのくらい嫌だったの、思い出すことさえ。
でも名前の漢字を知って、あなたのご両親がどんな気持ちで名前をつけてくれたのか分かった気がする。ただ、ありがとう、って思ったの。きっと、つながりをくれたのね。
「・・・たくみ、も開拓のタクに海、って書きます」
そう言ったら南海さんの目にみるみる涙が溢れた。私も何故か泣いていた。ごめんね、いえ、すみません、なんで泣いてるんですかね、私達。そう言いながら二人で泣き笑いしていた。
もう空気は夕方になっていた。南海さんはあのね、とまた口を開いた。
「私もうちの母とあなたの、お父さんのことは知らないのよ、あんまり。知ってるのはね、私の母とあなたのお母さんが昔一緒に働いていて良い仲間だった、ってことだけ。なんだろうね。あんまり細かい事は知りたくないよね。ほんと、今でも酔っ払ったら親に言っちゃいそうよ、『勝手にへんなストーリー作り上げないでくれる?ドラマじゃないんだから!私の人生続いてるんだから!』って。」
「でもさ、私達もいい加減オトナになった訳だし、当時の本人達の決めたことで今に続いてる、それを今さら何言ったって、って思うの。それに結海ちゃんに実際に会って、なんかすごく、全部が感謝ばっかりになっちゃったし。」
南海さんの声なのに、自分が話しているみたいだった。母たちのことは私は全然知らなかったけど、ドラマじゃないんだから、は全く同感だった。
南海さんは 私が足許においた空き瓶をひょいとつまんで、自分で飲みきったコーヒーの空き缶と一緒に ゴミ箱に持って行って捨てて戻って来た。
そして今度は私の方を向いて座った。
大学に入ったとき、母に聞いたの。私が産まれてお母さん、よかったと思う?周りの人も含めて、よかったと思う?って。そうしたらね
周りの人は知らない。あなたを授かっていろんなこともあったけど、でも結局どんな形でも幸せだったわ。今ももちろん、幸せよ。
って母が言ったの。それからずっと考えてた。自分の中にある悲しさとか悔しさとかぐちゃぐちゃしたものをどうしようって。私はこんなにぐちゃぐちゃなのに、お母さんは幸せっていうの?わかんない、どうしたらいいっていうの?ってね。
南海さんは立ち上がってスカートについたホコリをかるく落とした。
「それでね、今日あなたと会って、勝手なんだけど少しだけ通じたなっておもったの。そうしたらなんか、全部すとん、って落ち着いてね。母にどんな形でも幸せだったと言われたものが、今は私もそう思うの」
「まだこのぐちゃぐちゃは私の中で暴れるかもしれない。でもね、結海ちゃんと拓海くんとこれから時々会ってお喋りしていきたいなって思うの、お二人が構わなければだけど。多分、私達のぐちゃぐちゃは ものごとが分からない子供のころの幻想だから。どうかな?」
私がこくんと頷くと、南海さんはにっこり笑って「また会おうね」と言って手を小さく振ってから背を向け、歩いて行ってしまう。声もかけられず、でも不思議な気分で私は彼女を見送っていた。
お姉さん、とは呼べなかった。
長く話した訳じゃない。
でも私の中のぐちゃぐちゃした、胃の下の方からあがってくるようなあの不快なかんじは多分もう戻って来ないと思う。
結局 私達は自分達の中で作り上げておきながら全体が見えないストーリーに恐怖を覚えてただけかもしれない。
次は拓海を連れてこよう。受験勉強なんかより大事で、今片付けたらきっと拓海の人生が変わるもの、それがきっと分かるから。