見出し画像

点滴して早く良くなって。

ルミさんのこちらを読んでいて、「点滴」ってことをぼやっと考えた。

出来たら一番下の注釈も読んで貰えたら嬉しい。大勢に影響はしないけど間違って伝わるのは本望じゃないし。

食あたりにしろ「おなかの風邪」ってやつにしろ、感染性胃腸炎って結構フツウに多いし、熱が出ても高熱じゃないことも多くて軽く見られちゃう。そんなとこ、患者としてつらいところ。(いえ、診てるほうも決してどうでもいいと思ってる訳じゃ無い、ただかなりの数みるのでちょっと慣れちゃってるんです)脱水が加わると大人だってふらっふらになる。

そうそう、ちょっと話は逸れるけれど

原因がウイルスにしろ細菌にしろ、基本的にその「健康時に体内にないもの」が文字通り一掃*¹されたら治るけど、どんなに医療が進歩してきていても身体(腸管壁)が元のように元気に働くようになるまでは人間側の体力と抵抗力が最後の砦なのはご存知の通り。
病院で医療者がやってるのは、そんなあなたの基礎的な回復力のためのアシスト。ご自分の体力で元気になれる環境を整えるってこと。

因みに、だけれど病院では毎回「原因菌」「原因ウイルス」を「同定」しているわけではない*²。私も子供の頃は「診断名」ってのは誰でも付けて貰えるものと思っていたし、菌やウイルスはちゃんと検査してAと言う名前だとかBっていうのが原因だと分かるもんだと思っていた。

原因となるものをどこまで区別するか、ってのは 例えてみれば、洗濯物の分別。
「白っぽいもの」と「色物・柄物」とに分けるのが細菌性・ウイルス性に分けるみたいなもので、これくらいなら問診と血液検査結果(15〜20分くらいですぐ分かる)で簡単に予測できる。そして色柄ものに通常の漂白剤がつかえないみたいに、ウイルス性には抗生剤が使えない。そこだけ分かってれば良いからそんなに細かく検査はフツウは必要無い。

それからそれから、
汚れの種類で「通常の汗汚れ」と「土埃を巻き込んだ汚れ」「軽い油汚れ」は多分(少なくとも私は)同じ洗剤を使うように、病気でもあんまり細かい分離は不要なのだ。細かく分ける事に注力して洗濯物が溜まって臭くなっては本末転倒。


外来で行われている診断の「大雑把さ」は、まぁ例えて言えばそんな感じなんだ。

画像1

前置きがながくなっちゃった。

胃腸の症状で最初に病院でしているのは「手持ちの武器(薬)で戦える相手か否か」を見ているだけ、といってもいい。

病院って魔法のお城じゃない。大体が分からないまま進んで行くものだ。
なんとなく「病院に行けば一発で原因が分かって治る」って思ってるひとも結構居るんだなぁというのが医療者側でおもったこと。そんなに万能じゃないんだけどね。

画像3

とはいえ、特にアメリカだと細菌性よりはウイルス性だ、とわかると殆ど処方薬ってのはない。昔酷い肺炎を起こした息子が、そのまま帰宅させられたのを思い出す・・・日本なら入院ね。

「この辛い症状、何とかなりませんかね?」「家で寝とけって言われても、それでも辛いから来たんですけど。」それが受診側(私)が思うこと。

まーウイルス性のとか(冬期だとロタとかね)薬がないしどうしようもないってこともあるのは分かるのだけど。
そんなとき「点滴」ってすごい治療なんだよね。

点滴、という言葉が 成人してる人のほぼ100%に「あ、はい、あれね」と受け入れられる現代って、ちょっと凄いと思わない?だって血管の中に「水」っぽいものを入れるとか、不安じゃない?これを「何やってるか理解出来ないから怖い」、とか言う人が殆ど居ないんだよ。

画像2

大体において点滴という行為が受け入れられた時期というのは本当に近代なのだ。血管内への注射、は文献上は17世紀に始まって、「点滴溶液」(正しくは電解質輸液製剤)は19世紀になって作られ始めた。それでも「命を救う」というほどの効果がある、と理解されたのは20世紀初頭、小児下痢症の死亡率が9割近かったのを1割にまで減らせた、ということがあってからだ。

特に子供は体の水分組成量が多い。成人は60%(体重50kgなら30kgは水ってこと)くらいと言われているが、子供は70%、赤ちゃんなんて80%に近いと言われている。これが急激な下痢/嘔吐で、腸管のなかの水どころか周りからも水分が搾り取られていったら・・・・。

紹介した記事でルミさんが「身体中の水分が全部抜けたのではないか」とさらっと書かれているけれど、実際ルミさんの体内を循環して調子を整えながら細胞や各器官を働かせる水分はかなり抜けてしまったんだと思う。怠さは、結構脱水がキツい証拠です。

でね。みんな「身体に水を入れるだけ」って当たり前な言い方するけれど、本当はとっても繊細な治療。決して「その程度、点滴すりゃ治るよ」って、水でも飲むかのようにやってるわけじゃない。

生命ってほんとに繊細でありながらフレキシブル。機械だったらほんのちょっとのズレで動かなくなったりするところ、各所各所に「そうですね、最適値50ですけどプラスマイナス150ずつくらいなら大丈夫ですよ」とかいう大きな「ゆとり」があるの。だから具合が悪くても「寝たら(その間にできるだけ最適のところへ戻ることがされて)治る」のね。

画像4

その中で血管内・リンパ管内をうごいてる水分はバランスを取らせるため(もちろん免疫の働きも)の大事な働きをしてる。これがあるから各臓器にフレキシブルになれる余裕がある。Aと言う臓器が調子悪くても 繋がる先のB, C, Dは「ま、それくらいなら俺ら、平気で調整してやるよ」くらいの勢いでのチームプレー。

だけど、「水分」が狂うといきなりそのフレキシビリティが +/ー 150から+/ー 20とかに落ちちゃう。(数字はあくまでイメージの話です)

細かいことを言い出すと長くなるのでこの辺にしておくけど、

西洋医学できっちりきっちり診断しなくても悪さをしている菌やウイルスを「これだ!!!」って決めきれずにいても治るのは、そういったフレキシビリティで身体自身がバランスをとれる*³から。バランスを取っている間に自分の免疫がフル稼働する。それらの連携を取らせている立役者は血管内やリンパ管内のいろんなものを乗せた水分。

というわけで、体力ある子供だろうが元気いっぱいな壮年だろうが、全体バランスを保つ立役者の水分が減ると大変。

点滴はそれを素早く補正してくれる。だって、水を500cc飲んだって血管内容量500cc増えないし、時間もかかるよね。その点、点滴は500ccいれたらほぼほぼ、500cc分すぐに増えて働く*⁴。

とにかく、点滴ってそのくらいパワフルな「治療」なのだ。

もちろん、なんにでも点滴すりゃいい、ってものではないけど、脱水が人間にとって良くないって時こんなすごい治療はない。

これから風邪(上気道炎)はもちろん、胃腸炎が多くなる時期だ。

基本は「出すもの出しちゃって綺麗にする」なんだけど、身体がバランス取れなくなってるな、って思ったら病院にいくってのは良い判断だと思う。身体も楽になるしね。

ま、まだまだ567さんもあるから、手洗い励行で乗り切りましょう。


*¹ 「一掃される」
ゼロになるという意味ではなく、身体に悪影響(熱が出るとか下痢/嘔吐があるとか)が出ない程度の数に減ったらまぁ、「一掃された」と言って良いと思う。元気になっても「保菌者」「ウイルス保持者」みたいな状態がしばらくあるということで、567禍が起きてから「2週間の自己隔離」が言われる理由のひとつ。もちろん、2週間でウイルスがゼロになるわけではないが、確率としてかなり低くなる、という判断。
*² 「原因菌」「原因ウイルス」を「同定」しているわけではない
同定=「自然科学で、分類上の所属を決定すること。」
細菌だったら培地というものの上で育てて確認する「分離培養」というもの、抗原や遺伝子(抗原は細胞の表面上に、遺伝子は細胞の中にある)を直接検査する方法がある。前者は正確だが時間がかかる。後者は迅速検査だが交差反応や汚染といった問題、ときに「検体採取」時点での方法の問題も起こる。
ウイルスの同定は基本的に 上記の「遺伝子」の検査となる。
*³ フレキシビリティで身体自身がバランスをとれる
「ホメオスターシス恒常性」ということ。どんな機械でも「あそび」と言われる部分が多少の衝撃や環境変化にも耐えるもととなるように、身体にもあちこちあそび部分が存在して、最終的に全体ではほぼほぼ同一状態を保てるようになっている。
*⁴ 点滴は500ccいれたらほぼほぼ、500cc分増えて働く。
本当はホメオスターシスがここでも働くので、急激に血管内の容量が増えたらあっという間に腎臓が働いて尿とし、体内循環量のバランスを取る。なので急に心臓に負担が、とかにはならない。ここでも身体の基礎的な回復力があることが 点滴を安全なものとさせている。

サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。