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みんなが知っている道ではなくても道になる。
noterさんの中に、数名以前からの知人/友人がいる。それだけnoteが認知度を得てきたというのもあるんだろうけれど、今日新たにもう一人がこそーーーっとnote記事を書き始めていたのを知った。(もう、始めたんだったら教えて下さい 笑)
この記事は、なんかとても彼女らしい・・・そして今私も全く同じ様に感じていることだ。短くまとめられているので是非読んで頂けたら。
話は変わるが、先日オンラインでお喋りした「2度目まして」「3度目まして」、「数度目まして」な方達と「肩書き」の話をした。ものすごく私には思い入れのある話題で、実際仕事を離れてから一番私が辛いと感じたのは「肩書きを失ったこと」だったんじゃないかと今は思っている。エライ偉くないの肩書きではなく、「生業」がわかる、という意味の・・・・
どんな職業であっても一言「肩書き」があると「ああ、そんな風に社会と関わって生きているのね」と理解して貰える気になるし、きっと相手も落ち着くのだろう。
本当はそれは、私という人間の過去のある側面しか見せていない。そして私が選んだ生き方は昔思い描いたものとは全く違っていて、というか「社会のなかに沢山いるであろう私みたいなひとは なんて名乗っているんだろう」と思っていた。
Joyちゃんの言葉を読んでいて、「あ、私はまだ '普通’ と言われる人生の歩き方を信奉してるのか」とすこしびっくりした。
良い、悪いではなく、進学して就職して・・・「そういう風に生きると楽」に出来てしまっている社会だから、それをなぞるとすこし「未来」が見えやすいというのはある。もちろん絶対、というものはないけれど。
「でも本当はその道じゃなくても良いんだよ」
それは何度も子供達に言っているけれど、背中でそれがどういうことか、を伝えられない私から言っても伝わりにくいだろうなぁ。
自分の子供達には、他の進みたい道をも選べる、という選択肢を手に握りながら、その時その時で自分が一番良いと思うことに進んで行ってくれたらいいなと思う。彼らが心配になったときには「ほら、こんな素敵な生き方してる友達がいるんだよ」と紹介しようと思っている。
肩書きには、その時自分が一番しっくりくるものを自分で作り出しながら。
◈
ところでこんなお知らせが届きました。(こういう細やかな応援みたいなのはnoteのすごいところ)
なんか、有り難くて涙が出る。読んで下さっている皆さん、本当にありがとうございます。
そして最近始めた皆さん、私もnote始めて2年間はただ書いて置き逃げしていたので、スキを頂くなんてちょぼちょぼでした。このスキの数は殆どこの1年です。
だから皆さんもどうぞ、楽しく優しく交流しながら進んで下さいね。私のこのスキの数が多いのか少ないのかは全く分からないけれど1年前の自分には信じられない数です。だから皆さんも楽しく書いて下さい。私も読んだら、ちゃんとスキを押していきますので。
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