呼称の本当の意味を知らないけれど
そういえば、昔 一部での私のあだ名が「チィママ」だった。
一部で、と書いたけれど1日のうちのある時間帯で、といったほうがいいのかな。大学の時や仕事をしていたときだ。飲み会と言われる場所に行くと私の呼び名はチィママになるのだ。
枠と呼ばれるくらい酔わなかったからだろうか。もちろん自分の飲める量を知っていたから外で醜態を晒すまで飲まなかったのだけど。
あるいは体育会系だったこともあり 特に目上の人の飲み物や食べ物の状態には気付く方だったから、かもしれない。
なんやかんやいって盛り上げ役だったからかもしれない。
本当の所は、よく知らない。
チィママ、チーママ、語源は「小さいママ」らしい(と、当時教わった)。お店を切り盛りするママのサポートをする立場の人らしい。
そしてあのあだ名が名誉なことなのか馬鹿にされてるのかよくわからなかったけれど、少なくとも私をそれで呼ぶ人たちは人間として私を受け入れてくれている人たちだったから(つまり比較的近しい人)まぁいいか、と思っていた。
そのお仕事のひとを直接は知らないが、スナックだとかお酒を飲む場での接客のひとたちの気遣いは知っていた。とても私には出来ない、という気配りをいつもしている人たち。特にそれが「誰であっても」「お店が開いているときは毎日」やる、ということは、とんでもなく大変だ。
だからチィママのあだ名は、ほんの少しだけ誇らしかったのだ。最初の頃はね。
たった一度だが、仕事の後の飲みに連れて行かれた場所がいわゆるキャバクラだったことがある。あまりに雰囲気が違うので帰ろうとしたら「チィママはいないとダメ」と一緒のグループの上のひとにいわれて1時間強つきあうことになった。
で、その短時間で私は酷く酔った。今思うと多分ウォッカみたいな匂いも味もないものを沢山入れられたのだろうなぁと思う。そこの女の子たちはチィママと呼ばれる私を一瞬明らかに敵意のある目で受け止め、でも表面上の笑顔で代わる代わる私の相手をして「くれた」。
1時間経たずにで私はトイレに駆け込むことになる。胃がアルコールを受け付けないのだ。自分のペースで飲んでいるときにそこまでなることはほとんどないし、そうなる量を知っているからやられたなぁと思っただけだ。証拠もないし誰かを責めることでもない。飲むのは自分の責任でのことだし「誤魔化せないビールにしとくんだった」と思ったくらい。
「チィママさん、だいじょうぶー?」とうっすら笑いを含んだ声でそこの女の子たちが言う。「いつもより酔いました、若い頃とは違うってことですね」と笑って、自分のコップに気をつけながら酔った素振りをしないようにした。もうそれは女のバトル状態。同僚や上のひとたちにそのバチバチな理由やなぜ酔っていないフリをするかの理由が分からなくても、私は負けるわけにはいかなかった。だって大きな理由はないんだもん。単なる女同士の嫌がらせ。
もちろん「チィママ」という呼び名だけが彼女達を刺激したとは思っていない。こんな店に女が来る?と思ったのもあるだろう。客の同僚として扱われるたいしたことない女、という評価もあったのか。
ただあの「挑戦」がはじまったのは「チィママ呼び」を聞いたときから、というのはわかる。チィママというステータスはきっと、その店の彼女達には大きなものだったんだろうなと今は思う。そのステータスなるものがどれだけのものかは、永遠に分からないんだけれど。
そういうことから遠ざかった年齢になって嬉しいな。今はそう思う。
チィママの本当の意味を分からないまま年をとったとは思うけれど、別に生きるのに支障はない。
私をチィママと呼ぶ人も、今は誰もいないしね。