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アメリカの大学受験(2) エッセイについて

アメリカの大学受験(1)点数について で書いたように、点数化での評価には(まぁ、みんな分かってることだけど)限界があります。大学はbook smart(といわれる、要はテストが出来る子供)が欲しいわけではないので、当然点数の評価は「するけど重要ではない」ってなる大学が出てくるのです。

そこでエッセイ。これ、私がnoteで書きなぐってるようなエッセイじゃないですよ、もちろん。学術的に形式もあり、その誘導の仕方、自分の思考のみならず一般意見の受け入れ方、多方面からの視点、そういうものを織り込みながら最終的に自分の考えを述べる、まさにartとしてのエッセイだなぁと思います。一般の大学でも大体教養科目のなかにある、というほど、在る意味とても一般化した必要な技術です。
これに関しては(もちろん一概に言えないけど)公立校より私立校に軍配があがりがちです。大学で受けるようなエッセイの書き方の授業はもちろん、英語(国語)の授業のみならずいろんな科目の宿題でレポートではなくエッセイが出ることがあるからです(先生としてもエッセイの方が評価は大変らしい)。我が子の通う学校は高校生の宿題が質・量ともに厳しいのが有名で、「自習のためのクラス」というのまで設けてあり、自分では調べ物が多すぎて追いつかない宿題やレベルが追いついていないものを含め、やっていいよ、となってます。エッセイを「お互いに添削」とかいうのもあるらしい。←あまり知らないハハ。
先生に関しても予備校の先生といっしょで、「知識が豊富」で「教えるのが上手」な先生は給料もかなり良いのです。更には やっぱり難関校のエッセイを沢山書いてきたり評価してきたりの経験は大きくて、そういう先生を「雇う」のは私立のほうが資金力から有利ですね。

もちろん指導者としての能力は出身大学や学位ではないですが、「上手くなるかどうか」はやっぱり書いた量にも拠るところは大きい(noteを書いている方達ならお分かりかと)のでね。私達でも難関校文学部出身の先生、ってきいたら、まぁ、普通の人より読んでる量も書いてる量もすごいよね、という期待はあるし、卒業が難しいというアメリカの大学はやっぱり、学内で要求されることは相当厳しいそうです。

で、受験に必要なエッセイは長いのを1本ってところもありますが、すごいところになると4ー5本書かせる大学もあります。(試験会場ではなく、家や学校で時間をかけて書いていいのです。)当然その時点で書けない、と諦める子供も出るわけです。

日本の小論文のように「かつっ」と音がしそうなくらいがっちりテーマをだすところもあれば、「あなたが大学で学びたいと思っていることの選択理由をかきなさい」みたいなもの凄く大まか?なテーマもあるようです。でも、受験生が書くってことは入試担当官は全部読む(はず)ってことで、すごいことですよね。あとで書きますが、多分エッセイは(学校規模・・・一学年何千人というところもあるし、200人くらいってところもあるし)言ってみれば第一次選考を通った人を確認するため、みたいなものかと。←予測です。そんなこと、どこも書いてないし、説明会をしにくる入試担当官admission officerだって言ってません。
比重はおいといて、ほっとんどの入試担当官は「エッセイでその子がわかる」といいます。すごいね、そしてコワイね、文章を書くっていうのは・・・

先日ウチのムスメは「やばい、13本書かないといけないのに、まだ1本・・・・」と、焦るのを超えてしまって 大笑いしてました。(親としては残念だ・・・・)
(これも受験システムとしてあとで書きますが)基本的に全ての大学へのアプリケーション(申請書)はオンラインなので、エッセイもオンラインで提出です。なので、このとんでもない数のエッセイを書こうとしている娘に対しては 高校の進路担当教員(担任がやる、とかではなく、進路専属)が「おなじエッセイを他大学のアプリケーションにも使えないか」を一緒に考えてくれてます。そういうことも、やるんだなぁと感心(?!)しました。←ひとごとですから・・・

まぁ、書いたようにエッセイはartだとおもうので、気になる方は大学受験エッセイの書き方、みたいなのを教えてる方の本でもみることをお勧めします。私には全く分からない世界です。

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見出し写真は、「みんなのフォトギャラリー」から、こおろぎさんの作品をお借り致しました。


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