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お正月がどんどん薄まっていく。

私が子供だった頃、三が日というのは初詣のほかは基本家族みんなが家に居て、2日か3日にはお世話になっている(というか親が集まってよく宴会してた)お宅に新年のご挨拶にいって(宴会して)そこで年に何度か’酔っ払った’姿でお会いする大人達に四姉妹で挨拶して回っていた。
一応「お正月」だから三が日の間は新しい着物(下着でもOK)をひとつ身につける。いろんな方のところにご挨拶に伺ったりあちらから来て下さったりするものだから、元旦の朝から基本的にはきちんと顔を洗い着替えてすごしていた。9割自宅で、のこり1割が新年を共に祝うひとたちの家で、もちろん子供だから挨拶が終われば遊んでいたけれど、とにかく家族単位で動いていた。

でも正月は三が日じゃ終わらなくて、あのころ松の内は学校はもちろん基本的にお店もお休みで、とにかく街中が静かだったのを覚えている。子供だった私達は「はやく学校始まらないかなぁ」と、1年のうち360日は思わないことを本気で願っていた。

今の日本のお正月は、もう三が日もまたずに通常運転になっているのだろうか。

そういえば育った家はお年玉、というものがない家だった(というよりお小遣いもなかった)。理由は親(母だけ?)がその意味が分からないから、と一度聞いたことがある。
もちろんあちこちでお会いする方から戴くことはあった。あったが、帰宅するとまとめて母に渡していた。まぁ本当に欲しいものがあれば(そして親が「まぁ欲しがるのも仕方ないし与えてもいいかもね」と思ったものなら)大抵買ってもらえたし、子供に大きな額を持たせる意味が分からない、ってことだったのかもしれない。

子供でも「そりゃそうだな」と思ったから特に反抗もなにもしなかったけれど、正月明けに子供達の間で交わされる「いくらお年玉をもらったか」の話題には全くついていけなかった。毎年沢山もらって今年も銀行(に口座をつくってもらっていたと聞いた)に預けにいったよ、なんて友達もいた。なんだかそういうことすら思い至らない環境にあった自分を恥ずかしいような気がして、ただ黙っていたと思う。

今もお年玉ってあるんだろうか。一体いくらくらいずつもらっているものなんだろうか。50年前に私達がもらったのは千円とか時々三千円とか。時々余裕のあるご家庭から五千円札なんて入っている袋をもらってビックリして親にそのまま渡したこともあるが、今の時代はどんなものなんだろう。物価があまり上がっていない、と聞くけれど、基本は五千円、多いと一万円とかなのだろうか。

日本のお正月の風景も大分変わってきているのだろう。もう門松なんて飾る家はほとんどないのでは無いだろうか。大きめの松の枝をいれた松飾りですら、珍しいかもしれない。
年の瀬に熊手を買いにいって、新年にそれらを神棚近くに飾るなんてことも、もしかしたら珍しいのかな。そもそも神棚もないかもしれないしな。

あったところで、と言ってしまえばそうなのだが、なんとなく寂しいなぁとは思う。どこかであの風景を少しでも残しておきたいと思う自分がいる。まぁそんなことを思うことは出来ても現実は玄関のクリスマスリースをようやく片付けたくらいだ。

アメリカにいると「日本のお正月ってChineseのそれとは違うの?」と時々聞かれるし、アジア系の友人に「日本ってどんな風にお正月を祝うの?」と聞かれる。でも私ですらあんまり「こうです」と説明出来ない。子供達なんて私が用意するなんちゃって三が日の記憶が全てなんだろうな。

少し寂しく思いながら、でも私ももうピラティスのクラスに行ったり必要な日常の買い物に出たりしている。心がけなければ風習というのはこんな風に当たり前に日常に埋もれていくものなのかもしれない。


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たなかともこ@ツレヅレビト
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