【#分岐点話 ~選択のあとに】2日目まとめ
ひとつひとつの宝石のようなお話を、書いて読ませてくださって有り難うございます。少しでも多くの方に読んで欲しいなぁ。
【拝啓 向田邦子様/エッセイ】 四宮麻衣さん
好きなものを好きだと認めそこからそちらに向かって歩みを進めるのは言うほど易しいことではない。
でも原点を忘れず歩んでいらっしゃるんだなぁと沁みる話。
実はこの作品、しばらく前に麻衣さんのnoteを遡って読んだ頃にみつけたのです。私も向田邦子さんは大好きで、この「海苔巻きの端っこ」の話は忘れられない文章のひとつでした。
もう一つ、麻衣さんの言葉ではっとしたのは、私も高3のときに進路の方向転換を試みようとしたからです。「書く」ほうへではなかったし、麻衣さんのように強い信念で前に進めたわけではないので、一緒にすんな、と言われかねませんが。ただ、理系を選んでいた人間が「文転」する覚悟の大きさはうっすらでも分かります。
麻衣さんのお母様の複雑な気持ちは娘さんを愛するが故。もちろんそこも理解した上で、最初の向田さんの文章との出会いから麻衣さんはずっと、向田さんを追いかけていらっしゃる。その「選択のあと」の真っ直ぐさに打たれました。
麻衣さんの選択のあと、もそうなんですけど、文章を書くものの端くれとして「ここまで誰かの人生に影響したら、思い残すどころか守護霊になりたくなるよなぁ」と思った次第。誰かの記憶に残るってすごいですよ。
【人にしか興味がない人間の選択】 こんちゃんさん
ちゃんと選んだひとだ。
「どうやら僕はすぐには死ねないらしい。なら楽しく生きよう」
これが言えるまで、選び続けたんだね。
まだ過程としてもすでに素晴らしい結果だよ。
実はこんちゃんという人間の隠れファンです。年令よりもずっといろいろ悩んで考えて来たひとだなって。で、今これを書くにあたり、もう一回この文章を読み直したときに思いました。
冒頭に紹介された日食(にっしょく)なつこさんのこの曲。多分こんちゃんの叫びに一致してるんですね。
歌詞リンクを貼っておきます。
文章と、この曲とが相まってこんちゃんの文章の行間がさらに奥行きをもって感じられます。生をあきらめるか、とアタマを過るくらい苦しかったのですね。でも私は今こんちゃんのこの文章が読めてとてもよかった。
日食なつこさんのことを書いたnote記事がぽん、とあがってきて、この紹介記事も秀逸だったのでよかったら。
【休職中の財源はヤフオクで。モノを減らしたら豊かになった僕のココロ。】 かとしんさん
12500字越えの大作でご参加です。
いつも楽しい文章と綺麗なお写真で美味しそうなものを綴って下さる、その裏にあったことです。
かとしんさんの愛娘がヘッダー写真につかわれたこの大作。1万字越えとは思えないくらいするするっと読めました。
別のところで休職された時期があると読んだことがあったので、タイトルを見て「へぇぇぇ、ヤフオクで財源になるくらいに、なっちゃうの?」とちらっと思った私が浅はかでした。
その財源はかとしんさんのココロを、命を前に進めるためのエネルギーだったんですね。
遠くからこの文章を眺めると「その時なんでご家族はそんな冷たくなっちゃったんだろう」って思うけれど、かとしんさんが徐々に変わることでみんなが変わって行く。ってことは、仮面をつけてしまったかとしんさんに、ご家族も辛さを感じていたのかもなぁ。
もちろんそんなことは書かれてないし、かとしんさんはかとしんさんの選択とその後やってきたことを淡々と書かれているだけだけれど。
選択のあとのかとしんさんが一枚一枚、鎧を剥がしていくように重ねた努力は、きっと周りの人にも伝播したんだよね。
【私の人生にとって特別な場所、それがパンテオン】 スージー・ワイ@芸術文化ジャーナルさん
「自分にとっての「豊かさ」は自分が作れる。」これに辿りつくまで同じ場所を何度も通過している筆者。今まっすぐ前を向いて歩いていらっしゃる。
ローマのパンテオン。私は行った事は無いのだが、もちろん名前くらいは知っている、2000年前の神殿。
スージーさんの人生の選択肢を思い出させ、結果的に大きな分岐点のシンボルになっている。天啓のような最初の訪問
。それまでにベストとおもってしてきた選択を、もしかしたらそのときの短い滞在で全部やり直すことをきめたのかもしれないですね。
分岐点とつながる場所に立ち返ることは、覚悟を確認されるような心持ちだったのでしょうか。でもスージーさんが3度、その場を訪れたということは、自分のした選択をそれでも信じて進んできた、という証だろうなぁと思うんです。
『パンテオンとの思い出を「後悔」とするか「宝物」にするかは、私次第じゃないか。』
もの凄く頷いた部分です。私達は選択したあとの数年でしたこと(それも充分長い時間だし大きな努力だけど)で自分に評価を与えたりするけれど、実際は死ぬまで本当の結果は分からないんだと思います。
私がnoteでお会いした当初のスージーさんはまだ傷ついてようやく恐る恐る、また歩みを始めた頃だったと思うのですが、だからこそ、これを読ませて頂いて 選択のその後のスージーさんがカッコ良いと思うのです。
【なるようにしかならない私を私が愛する】 塩梅かもめ/スペイン発 味の891便 さん
とにかく読んで欲しい。かもめさんはこれを「気がついたら分岐点になっていた話」と。「女性」で生まれることも最初の選べない分岐点かもね。
えっとおおおおおお。言葉にするのもおこがましいと感じるくらい、深くて大きなことで、本当にみなさんに「とにかく読んで」欲しいのです。
つくルンバというサークルからかもめさんのお人柄や食に対する想いが伝わってきていたと思っていたけれど、本当はそんなの氷山の一角でした。
人生って不思議。いろんな出来事といろんな出会いがあって。でもこの記事を読むと何が欠けてもいけなかった、という確信を得ます。
『失ったものがある。やり残した事がある。叶えられていない夢があることを、過去の選択間違いの結果だとは思わない。すべて私が選び取ったものだ。』
カッコ良くないですか?!ほんと、今悩んでいる若い人には ここを目指して欲しい!と(大きなお世話ながら)思うのです。
【選べ、潰れるほどに握れ/#選択のあとに #分岐点話 】 榊亮さん
自分より弱い誰かのためにこんなに耐えられる人もいる。そして誰かを守るために、それらを投げ捨て叩き割って新しく人生を歩む人。
最後の短い中に見る今の平穏と幸せを嬉しく思う。
例え自分が選んで生まれた家庭であったとしても、その意味なんて渦中のときはくそ食らえだと思うんです(汚い言葉、ごめんなさい)。
もう何度も何度も何度も読みました。
読んでいるものが信じられなかったのかもしれない。どうして亮さんが逃げなかったのかが理解出来なかったのかも知れない。「仮面が剥がれてきた」ひとについて行っていたのは愛情もあったんじゃないか。なんとか自分の理解出来るところに足を降ろしたかった。
でもね。それが亮さんの人生だったんだ。
理解しようとかおこがましすぎる。ただ、私には実感を伴うことも拒否されるような状況から「ご自分で選択して」飛び出した。そして歩き出した。そこは本当に大きいと思います。
これ、書くのお辛かったんじゃないかな、と思いました。(同じ様に重いものを綴ってくださった方は他にもいらっしゃるけど)書いて、ここに参加してくださって私はココロから感謝しています。
きっと、きっと この文章に力をもらうひとがいる。そう信じます。
【この選択は卑怯なのかな? たぶん、卑怯なのだろう。】 enageさん
非難するひとにはさせとこう。「目の前の相手には誠実でいたい」それが唯一の答で、ちゃんとそれを貫いてるじゃないですか。
細い細い線で描かれた日常のような物語でした。
でも私もenageさんの気持ち、少しだけは分かります。トイレに籠もることはなかったけどね。それは卑怯というより、ほんとにココロの出来具合の違いかなって思います。
目の前の相手に誠実でいたい。
それがenageさんの選択のために選んだ努力だし、それを誰も非難する資格なんてない。「選択のあと」の努力は、自分で方向性を決めてイイもの。間違ってたと思ったとき方向修正すればいいだけ。
ご年齢はわからないけど、私よりはずっとお若いはず。そして今の時点での「選択のあと」をご自分でそのまま受け止めているのが素敵だなと思いました。書いて下さってありがとう。
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