The Holdovers ; アメリカ社会の闇とそれぞれの立場の苦悩を超えた優しい関係性が育まれる物語(2)
2023年の、あれこれの賞をとりまくったThe Holdoversという映画について、私なりの「アメリカ社会をしってるとこんな風に響いてくる」の話の続きです。その1はこちら↓
お金持ちの家に生まれたら幸せなのか
先に書いたようにアメリカは日本以上に貧富の差が激しい国です。我が家なんて多分「中間」のひろいところにいて、富裕層はもちろん、貧困のほうはよほどのことがなければ接点は無いのです。富裕層は自家用飛行機もっていたり山の斜面のでっかい家に住んでいたりするので遠くに「見え」ますが、貧困層はほとんど見えません。そういうものだと思います。
そういう現実を一気に、一点に集めたとも言えるこの映画では、お金持ち=学校の生徒たち、肩書き的に尊敬されるけど金持ちなワケじゃない=堅物先生、さらにまぁ普通くらいの収入はもらえてるんじゃないか?と思うけどどうもそんなことないらしい=このボーディングスクールの料理長メアリーや学校の一般職員 が描かれています。日常生活でこんなにはっきり出ることはないけれど、ボーディングスクールというある意味特殊な場所だから、色んな立場のひとの考え方の違いや苦々しい思いが、あちこちでぽつん、ぽつんと弾けるのです。
クリスマスだから子供達に優しくしてあげてよ、とメアリーがハナン先生に言うと「あの子らはこれまでも、これからも、大変なんてこと経験しないんだから」とハナン先生は吐き捨てるように言います。ああ、ハナン先生はこのバートンという全寮制の有名進学校でずっと教えてきていてもきっと苦労してきたんだな、と思うところ・・・でメアリーが「それ、本気じゃないわよね?あの子たちだって既に散々苦しんでるのよ」とぴしゃりと諭します。
その一方でメアリーは1人の学生について「ああ、あの子、’くそったれ’よね。金持ちでくそったれ、この学校でよくみるタイプ」ともいいます。金持ちでくそったれのバカ息子・・・あああ、そうそう、めっちゃいるわ。親は全寮制の学校を自分の子育てが楽になる手段くらいにしか考えていなかったりで、子供達だってバカじゃないですからそういう親のお金はいくらでも使ってやれ、になるんでしょうね。そんなイイご家庭のくそったれ坊ちゃんが、この映画のなかではこれでもかと出てきます。(なんで裕福な家庭の子女にくそったれが出るのか・・・愛情の形の違い?裕福さを力を勘違いする子供的な理解?よくわかりませんが)
もちろんお金持ちで子供達を大事にする良いご家庭に育っている子供もいるでしょうね。でも、特にクリスマス休暇を学校で過ごすことになるような子供達は、多分自分の心を守るために、諦めたり拗ねたりの「くそ野郎」が多い。
当たり前過ぎることだけれどお金は幸せを連れてこない。幸せになるのは自分だから、それぞれの心の位置だからね。でもハナン先生にはちょっと違った考えが、どうやら大分長い時間をかけて染みついているようだなぁ。陳腐な「お金は人を幸せにするのか」という疑問が、色んな形でいろんな人の生き様を通しながら何度も尋ねられる映画でもあります。
アンガス・タリー(学生)のこと
あまりに問題を起こすので停学をくらったり放校になったりして「まだジュニア(11年生)」と自嘲するアンガスは、結局頭はいいけれど親の愛を欲する子供でしかありません。そしてほんとに、こういう問題を抱え大人になりたくなくて 散々もがく若者は、今のアメリカにわんさかいる。
背も高く見た目はもうほとんど大人だけれど、突然実の父がいなくなったり(会わせて貰えなかったり)母には「(半年前に再婚した夫と)ハネムーン期間がほしいの」といわれて学校に置き去りにされたり(ああ、そういうアメリカ人の女、いるいる・・・めっちゃいる。「自分が幸せになるのが一番大事で、子供はちょっと我慢してて」って平気でいうひと。)、彼は本当に外見と内面のアンバランスさが痛々しいほど。
彼の問題行動は明らかに理不尽な自分の境遇や本当は愛が欲しい家族への怒り。社会は「どうせ」金を積んだらなんでもできんだろ、くらいの態度。でもアンガスはこの2週間を通じて、ハナン先生からは「自分の境遇や自分を知りたいならヒントは過去の歴史のなかにある」と教わり、世の中の見方、彼にとっての学ぶということの意味や意義が変わるようです。メアリーにはお金よりもずっと彼が欲しかった「家族っぽい優しい時間」をもらい、その中で彼女が失ってきた家族のことを思います。そうやってすこしずつ、アンガスは他人のせいにしていた境遇を自分の力で変えていけるかもしれない、と考えを変え始めることができるようになります。
私は女なので心底は分からないけれど、どんな男の子でもハイティーンの年齢ってきっと不安定になるんでしょうね。そのなかで自分でもそんな自分を不安に思い、抜けだそうとし・・・そんな時期に、アンガスはかけがえのない先輩たちであり友人になれる人たちに出会えた。ああ、きっとこの子は良い大人に成長するだろうし、周りを思いやる素敵なひとになるだろうな、と、母目線でウルウルしてしまいます。年齢差を超えて人間として赦してあげたい部分や尊敬できる部分をもった友人ができるってことほど、こんな年齢の男の子に幸運なことはないのかもしれません。
堅物頑固者のポール・ハナン先生
実は恵まれない環境で育ち、でも頭の良さでバートン校に奨学金を得て入学しハーバードにもストレートで入ったポール・ハナン先生・・・こういう「ラッキー」とも評価され得る素晴らしい経歴をもっている人はアメリカの良い学校にはちらほらみられるのです。特に私立の有名大学では こういう頭のよい学生を拾い上げるというのが珍しいことではありません。
ただ・・・「良い大学」にはやっぱり「家のステータス(寄付額とか)」なるもので階級付けされる社会があるんですよね、これもよく知られた話。映画のバートン校にみられたような「金持ちのくそ野郎」がいっぱいいて、彼らは彼らのコミュニティで暮らすので何が「くそ野郎」になるのか分かっていなかったり、分かっていてもそれすら自分のアイデンティティーだといわんばかりだったり。
ハナン先生は学生だったハーバード大で 理不尽な出来事で喧嘩をし結局退学させられたのだという過去が明かされます。頭が良くても卒業しなかったら高卒・・・ハナン先生が受けたであろう心の傷は確かに大きいけれど、その傷を理由に堅物頑固者・嫌われ者でいることを選んでいたのでしょう。そういう「こういう自分にしたのはこのどうしようもない世の中だ!」というような態度が見えていたから、映画の最初では観客はハナン先生を好きになれないのだろうなぁ。
アメリカの「学歴社会」は、もちろんいろんな文化や背景を持った人たちが一緒に暮らす中で、一目(学歴)で相手をどれくらい信頼出来るか、どれだけのことを期待していいのかを知るのには必要なんだろうけど、やり過ぎな感もあるんですよね。それで人間性まで測れると思っちゃってる人たちも結構多いしさ。なので、ハナン先生が不貞腐れ(?)て諦めて閉まっている状況、分からないでもない。個人的な愚痴でもあるんですが、私も「私として」初対面になるひとには大抵見下されています。それがオットの職業を知ると「お?」な感じになり、私の持っている資格を知るともう全然違う態度になります。正直、人間として相手を見ることはできないのか!と腹立たしいことばかりです。
脱線しました。でもこのクリスマス休暇の2週間で、ハナン先生は問題児だとおもっていたアンガスに率直で真っ当な意見を言われ、メアリーにも自分の器の小ささを思い知らされ、まぁいろいろ起きることのなかで「私こそ自分を諦めすぎていた」という認めたくない事実を直視せざるを得なくなります。
この映画のなかで 一番人間同士のぶつかり合いで自己を見つめ直したのはハナン先生だと思うのです。映画の最初は全く好感をもてる部分がなかった先生が、人間の魅力という魅力を次々と表して輝いてくる。彼の人生ステージとしては最悪かもしれないけれど、あまりの輝きに見ているこちらが笑顔になるのです。なんて素敵なキャラクターだろう!そりゃ、ゴールデングローブの主演男優賞、とりますよね。
社会の理不尽さを超えられるかも、と思う勇気が心に残る、魔法みたいな映画。
料理長のメアリーの話もなかなかに壮絶だし、これはここでのネタバレじゃなく映画の中で楽しんでほしいと思います。
でね、こういう「芯の強い女性」が、それでも時々タガが外れたようになっちゃったりもう一度淡々と毎日のことに戻ったりしながらも 周りのひとたちや社会をしっかり、間接的に支えているのかもなぁと思うのです。成功とか功績とかから一番遠い所にいながら、この人がつくるリズムで救われている社会。ありますよね。こういう、名前を残すことはなくてもとても大きな役割を果たしている女性を私はそういえば何人も知ってるなぁと思い出しました。そういう女性をメアリーという登場人物にのせて表現したあたり、すごいと思うんです。
どんな人生も、大体はやるせなくて酷いものかもしれない。誰かからは笑われたりあるいは誰にも見向きもされないものかもしれない。だけど社会のなかの理不尽さにも、どうしようもなかったことたちですらも、お互いにそのつらい記憶の重さを分け合ったらちょっとだけ一緒に笑ってあげられる、そんな心の交流の時間が丁寧に描かれています。全然ハッピーエンドじゃないかもしれない、だけど見ているこちらの心は温かいままでいられるし きっとこの3人の未来は少しだけ上向きだよねって信じたくなる、そんな魔法みたいな映画でした。
どんな社会もなかなか「完璧」には程遠いでしょうが、アメリカを嫌いになりきれないのは この映画に出てくるみたいに、色んな立場のひとが環境や個人の状況の違いを超えてだまって肩を抱いてくれることがあるからかもしれません。それも10年に一度、とかではなく、結構日常でそういう「重荷を一瞬分かち合おう」みたいな気持ちを感じるのです。
全く違う痛みや苦しみを抱えた、立場も状況も違う人達が紡ぐ優しい関係性。人間っていいな、って心から思える映画でした。
サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。