海月の舞
10年も経てば東京の街は大きく変わる。
記憶を辿りながら交差点を左折してきょろきょろと見渡すが、記憶のある方向にしばらく歩いても あったはずのギャラリーはもうその名残すらない。私の記憶違い?いや、もしかしたらギャラリーではなく内装や表向きを変えて別の用途に使われ始めただけなのか。
それともあれは、夢だったのだろうか。
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海月、と書いてクラゲ、と読むのだ、と知ったのは恥ずかしながら24の夏の終わりだった。
もう9月だというのに日曜午後4時のアスファルトは容赦なく熱をこれでもかとため込んでいた。私はまだうだるような暑さの空気と熱く焼けた路面からの熱とでグリルされている魚のようにぐったりしていた。
そんな感じで一日歩いたヒールの足を交互に少しだけ上げて休みながら信号待ちをしていたときだった、「海月の世界」と書かれた小さな案内板に気付いたのは。中央分離帯から歩行者用信号が緑に変わったのを確認したとき、向かい側の歩道にそれが置かれているのが目に入った。道を渡ってその案内板を確認すると、50mほど左手に歩いたところのギャラリーのようだ。少し涼めるかな、と、暑さにぼんやりした頭で思いながらそちらに足を向ける。海の月だなんて、言葉からして涼しげではないか。
「海月(くらげ)の世界」と、ここではふりがなが振られた展示会名が表に出ていた。
なんだ、クラゲか、水中で撮った写真展でもしているのか。
それでも少し涼みたいという気持ちが勝ってドアを開けた私が滑り込んだのは 道路側がガラス張りで対側に分厚い黒いカーテンが内部とを仕切っている細長い3畳ほどの前室のような空間だった。熱風で息もしづらい外よりは大分ましだが、外気が入るせいで中途半端に生ぬるい空気が私を迎えた。カーテンの後ろは暗室のような空間になっているらしい。奥からは鑑賞しているのであろう、囁き声のような会話がそれぞれ違う場所から時々聞こえている。声の様々な遠さから思ったより大きなギャラリーらしいと気付く。前室の窓際に置かれたテーブルには展示の案内ちらしが並んでいた。私はそれを手に取ることもなく、ぐっと涼しいカーテンの先に進んだ。
光をほぼ完全に遮断したギャラリー内はかなり広い廊下状に奥へ、先へと続いている。そしてぽつん、ぽつんと、天井くらいまでありそうな箱形の、あるいは円柱状の水槽が薄暗い光を放っていた。その暗がりの中には思ったより人がいて、皆水槽の前に静かに立ち中のものを見つめていた。時折、水槽の中を指さして小声で会話する人達もぱらぱらといる。
暗さに目が慣れると、それぞれの水槽に色々な種類の海月が漂っているのだと気付く。
海月と言えばこれというような形をしているものから触手についた襞のようなものを細かく細かく震わすもの、お椀型の傘をすぼませたり開いたりするもの、水槽内の緩やかな水の流れにただ流されているような個体、かと思えば意思をもったかのように違う方向へ動く個体・・・・どれも違うのに、それぞれに不思議と引き込まれる魅力とある種の美しさをたたえて揺蕩っている。
暗闇のなかでぼうっと光る水槽に、不思議な生き物がただ漂っている。そしてそこにいる誰もが、周りの人を気にすることもなくぼんやりと、海月の舞うような動きを見つめている。もちろん、私も。
その頃、私は決して共に人生を歩むことの無い人に恋をしていた。いや、その恋と決別しようということにエネルギーを使いすぎていた。
一目惚れだったその人は取引先の営業のひとで、普段は彼より若い元気なひとが来ていたのだけれど、ある日契約の話で上司に当たる彼が一緒に現れた。ほんの1秒もない目が合った瞬間に私の時が止まり、激しい目眩に突然襲われた。指先がピリピリと痺れた。すぐに手許の仕事に目を戻したのは自分の反応に気付かれたくなかったからだ。
まちまちな大きさをしたミズクラゲが、ちょうど良い数で大きな水槽に入れられている。半透明の椀型の傘にリボンのようにもみえる白っぽい部分がちょっと可愛らしい。ゆっくり回転しながら上下している傘たち、それだけなのにいつまでも見ていられる。夢の中にいるかのように、けれど感情も何も無く揺れる、青白い傘。
あれから時々、何か大事な打ち合わせの時には彼と部下が、あるいは彼一人で私の勤め先に顔を出すようになったのだ。あるとき、仕事帰りに私が友達へのプレゼントを探してデパートのスカーフ売り場をうろついていたら、たまたま彼が奥さんとそこに現れて、挨拶をしたのがきっかけで仲良くなった。とても笑顔が可愛い小柄なひと、というぼんやりとしたイメージ以外は、彼の奥さんの印象がどうも残っていない。ただ、二人が繫いでいた手の大きさの違いだけがくっきりと記憶にある。
会社同士の取引が一段落しても私は彼と時々会っていた。その関係が社会では認められないことは重々承知で、でも走り出した心を止める方法を私は見つけることが出来なかったのだ。
忘れようとか、未来のないことに割く時間はあるのかとか ちょっと気持ちが揺れただけだと自分に言い聞かせるとか、そんな周りから助言されそうなことなら全部やった、何度も何度も、やってきた。そんなことで止まれる位なら、最初から苦しかったり切なかったりなんてしないし、数言のメッセージに世界の色が変わったり「絶望」という気持ちを誤魔化す方法なんて考える事だってなかった。
昔読んだ小説に「刹那的なひと」という言葉があって、その時の私はイソップ物語の「アリとキリギリス」のキリギリスを思い浮かべた。もちろん文脈的にもっとその人物の奥の奥、内面世界の絶望みたいなのを表した言葉だったのは分かっていたけれど、その言葉のイメージは絵本の中に描かれていたギターを抱えたキリギリスだったのだ。
でも彼との時間を選ぶ私は 当に刹那的に生きていたのだと今は思う。平々凡々で目立つこともなく、人生に特に波風も起こさず生きてきた私が、初めて自らを引きちぎるような感情が存在することや、世間の規範とか計画を立てて進んで行くことなんて遠い架空世界のことと思えるような時間があるのだということを知った日々。
水槽の中のクラゲはゆらゆら揺れている。その意識があるのか無いのかという動きが妙に艶めかしく、また美しいと言うには感情や意思が全くなさそうな分、不気味でもあった。いつまでも見ていられる、という引きずり込まれそうな魅力が 自分で蓋をしようとしている気持ちのどこかに繋がる。
長い触手が、ひらひらと揺れながら絡み合ってしまうものもある。ゆるゆると揺れるフリンジ状のものが、絡んだところでうごめく。それはまるで、自らが女性だと思い知り、そのあまりの苦しさになんとかそこから逃げだそうともがき、結局逃げ出せなくなった私だ。
自らの形を持たない感情や熱情は私を全く知らなかったほどに自由にし、同時に絡め取った。ほどくことが出来ない海月の触手がその海月の二個体をどうしようもなく繫いでいて、その様子から私は目を逸らし、次の水槽へ向かう。
彼との未来を考えることは無かった。考えないようにしていたのかもしれない。遠くから私を見つけて微笑む彼の隣にいつも、あの時手を繫いで笑顔を見せた小柄で可愛い女性の幻を見た。彼の手に自分の手を滑り込ませると初めて、幻の居たところに自分を認めるのだ。
大事なのは先のことではない、今彼が好きで、大切で、今手を差し伸べてもらえること、と信じようとしていた。あるいは、彼から本音の本音で選んだ答を聞くのは怖かったのかもしれない。
だからだろうか。
一緒に暮らしても良いか、と尋ねられたとき、身体の中が一瞬空洞になった。その直後、細胞の全てが心臓になったかと思うくらいばくんばくんと耳の奥で音がし始めた。嬉しいのか悲しいのか全く分からない、ただ感情としか呼びようのない激しい渦が、空洞の中に現れて体中の酸素を奪い取った。
ギャラリーの奥で順路はUターンするようになっていて、今度の水槽たちには もう少し小さくてもう少しカラフルで、楽しい夢を見せてくれそうな海月たちがゆらゆらとしていた。所々に小さな海月の泳ぐ家庭サイズの水槽が左手の壁の方に並ぶ。その先、右手中央の仕切り側に高さは他のものより低いが半円筒状の水槽があり、ぼんやりしながら私はそちらに足を向けた。
手を繫いでいた小柄な女性と、記憶の片隅に押し込んでいた、声を殺して泣く母の背中が 脳裏に交互に現れる。母が苦しめられていたはずの父の隣に立つのっぺらぼうの女性の顔は、やがて私のそれになった。
終わりにしましょう。
全身に冷たい汗を滲ませ掠れた声でつぶやいた私を、彼は無言でしばらく見つめていた。気付いていた、私がこの言葉を、この会話を、この状況をずっと繰り返し繰り返し考え続けていたことを。
半円筒状の水槽には、身体の上をネオンサインが走るかのような海月が揺れている。
ゆっくりと身体の上を点滅しているかのように走る色を追いながら、冷房に冷えてきた肘を両の掌で掴んだ。考えないようにしていても、時折電流の様に強い想いが、触れられた時の歓びが、記憶の中から急に浮かび上がって全身を駆け抜けるのだ。
ふと、隣に立った親子の声が耳に届く。
「お母さん、これ、カッコ良い。自分で光ってるのかな」
「えーとね・・・自分では光らない、って書いてあるわ。ほら、上から入ってる光がね、身体に跳ね返って色んな色に見えるんだって」
「なんだ・・・つまんない」
光が無ければ、ひとりでは光ることはない。強い光で無くても良いのだ、僅かな光でこんなに美しくあれるこの海月が、私は羨ましい。
ギャラリーには全部で1ダースほどの大きな水槽があったと思う。その薄暗い空間で、それぞれの水槽の前で、私は長い時間立ち尽くしていた。外の暑さに負けないようになのか、効き過ぎなほどの冷房で身体の熱が奪われていった。
冷房に凍えながら、ただゆったりと踊るような触手達をみていた。
光ったり光らなかったりの海月を、不思議な気持ちで見ていた。
私が空へ還そうとした想いの形。
未来へ続くようで決して続かない道。
私が自らの身体に絡めた熱情。
その生き物はそんな私を笑うことも、気付くこともなくそこに漂っている。
気付いたら2時間あまりをそこで過ごしていた。
外に出るとまだ夕方のむっとするような熱気が凍えた私を追いかけてくる。それでももう空は薄暗くなり街のあかりが灯り、季節はまた移っていくのだと知る。
ギャラリーの出口、あの前室のような所にあったちらしを一枚貰ってきた。海月を部屋で飼う小さな水槽を売っていたらしい。あの美しい生き物を自分の世界に・・・少し考えて、私はちらしを半分に折って肩から提げたトートバッグに無造作に押し込んだ。
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10年前、私が半分放心状態で出てきたギャラリーはそこにはなかった。
大分悩んだ挙げ句、海月と暮らすことはなかったのだが、あの美しい生き物を時々見たくなり水族館によく行くようになった。けれど、あの時見た息を飲むような美しさは、水族館で見るそれではなかった。
あの時私は何を見たのだろう。
踵を返して駅の方へと向かう。まだ通勤ラッシュには早いがもう街には明かりが灯り、一ヶ月もあるというのにクリスマスの煌びやかさが溢れている。うちのリビングにもそろそろツリーを出さないと。子供達へのプレゼントもそろそろ考えないと。
私は改札に定期入れをかざす。人の流れに乗り、あるいは流れを真っ直ぐ切り裂き歩きながら、私の日常へと戻るのだ。
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