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月明かりとステーキハウス

月と食べ物、それにちなんでのコンテストを塩梅かもめさんがされていた。参加したかったのは山々だったのだが、とても書き終わりそうになかったので応援のみにさせてもらった。

素敵な参加作品が並んでいる。そして世界の美味しい月、と銘打った沢山の食べ物の写真。ステキ素敵。ぜひ、こちらからじっくり読んで欲しい。

さて、私も「月と食べ物」で一応うんうん唸ってはいたのだが、あまり食べ物と結びつくものがない。うーん。
まぁ、締め切りも過ぎてしまったのをいいことに、「月」といえば私が思い出す話を・・・私には月明かり、というのがどうも「ステーキハウスと迷子になった息子」と強く結びついてしまうのだ。ほんと、どうして男の子ってこうも話題に事欠かないのだろう(涙)。

それは私が母の体調不良のため、一人で一時帰国していたときだった。

アメリカのこのエリアで15年以上、家族ぐるみで仲良くして頂いている友達・Kさんがいる。その時私が一時帰国していることは伝えていなかったのだが、日本の午後1時すぎくらいにLINEが入った。

「M(息子)がウチに来たけど。ごはん食べさせておくね」

日本の昼過ぎ=アメリカの夜9時すぎくらいだ。息子のクラブ活動のある日であっても流石に夜6時前には帰宅するはず。
またその時は私の母の病状のことなどで日本の家族中でばたばたとしていたときだったので、アメリカの子供達のことは全部オットに任せてきていた。

なのにどうして夜9時すぎに息子が友人宅に? ごはん食べさせておく、って、息子は一度帰宅したわけじゃないの?一体なにが起きてそんなことに?

まだ彼は14歳で、車が運転出来る年令ではなく、アメリカのそのエリアに午後7時以降路線バスは走っていない。

貰ったメッセージに全く理解が追いつかないが、とりあえずKさんには 私が日本にいること、すぐオットに連絡して迎えに行かせることを伝え、オットには国際電話をかけてすぐKさん宅に息子を迎えにいってほしいと伝えた。


翌日、ようやくオットと話が出来て全貌が大体理解出来た。

息子はその日クラブのある日で学校を出るのがすこし遅くなった。公共交通機関が早い時間でなくなるエリアなので、遅くなるときは必ず親に連絡するよう伝えてあるし普段は私が連絡をうけて迎えに行っていた。

だが、その日は遅い、と言っても「いつもよりは早く」、息子は電車とバスを乗り継いで帰宅できると思ったらしい。父の仕事の終わる時間というのがわからなかったのもあるのだろう。だがここで父親と連絡を取ればいいものを、そういうことを省くのは男の子だからだろうか。
とにかく電車で家の近くの駅までは着いたが、バスが無くなっていたうえに、たまたま気温がとても下がった日で携帯電話の充電がきかなくなった(ここもツッコミどころ)。ここで息子は考える。

「バスを乗り継いで、家のちかくに行けば歩けるんじゃないか」

・・・・そこを考えたのはエライ。だがな、息子よ、お前は自宅住所を覚えていても目印になる建物やお店、なんだったら一番近くの大きな道の名前も知らなかったんだよね・・・(ソルトレイクシティエリアは、東西南北が番号で分かるので、本来とても分かり易い)
ついでに。アメリカの田舎では「歩く」というのは安全ではないので車移動が基本。息子は「街中を歩く」ということがどんなことかを殆ど理解していなかったのではないだろうか。

で、そこに来たバスの運転手さんに相談したらしい(それはエライ)。「本来は○○の番号のバスなのだがもう今日はないらしい。どうやって帰れるだろう」と。それで、大通りを使って大回りし、できるだけ近所に行けるバスに乗り継ぐ方法を教わったらしい。

ケータイは切れている。もう街は暗くなっている。とにかく家の方向に向かうしかない。中学生だった息子なりに一生懸命考えたらしい。ちなみに、息子は私のケータイ番号は暗記していても、オットの番号はケータイ登録が覚えてくれているだけ。私が日本にいる状況で 電池のきれたケータイをどうしていいか分からなかったらしい。

外はもう真っ暗で、大きくて明るい満月が昇ってきていたそうだ。車通りが多くてもネオンサインが多いわけではない街だから、月明かりでなんとなくああ、ここは通ったことがある、とかなんとか思っていたらしい。
本当は半泣きで、どうやって家に帰ろう、どうやって親に連絡しよう、無事に帰れるのだろうか、とか、いろいろ考えていたんだろう。

そんなとき、あるチェーン店のステーキハウスの看板が目に入ったそうだ。

「あ、ここ、知ってる。Kさんちの近くだ」

ちなみに、ちっとも近くない(大笑)。

ただ、街の構造や目印となる建物、あるいは住所の見方を知らない中学2年生には、もう天の助けというくらい輝いて見えた看板だったのだろう。

バスを降り、そこから彼は歩いた。・・・・2キロ強ってところか。そこはもう住宅街なので街灯は疎らにあるのみ。ほとんど真っ暗な歩道を、月明かりがあって明るいから、と自分を鼓舞して歩いたらしい。そして30分ほど歩いて、やっとKさんの家に辿りつき、ドアベルを押した。


もちろんKさんは驚いて私に電話するが繋がらず(国、違いますから・・・)テキストをする、その間に息子が「かーちゃん、日本なんだ」と言う。それじゃとーちゃんに連絡しなきゃ!と息子を暖かいところに座らせながら話したところに私からテキストが行く、追いかけるようにオットからKさんに電話がいく・・・・という話だった。

ちなみにオットは、というと、夜7時半頃帰宅し 娘に「Mがクラブで遅くなる日はかーちゃんが迎えに行ってるよ」と聞かされて学校に迎えに行って、「迎えにきてるよ」と息子にテキストして車で1時間以上待っていたらしい。全く連絡が来ないばかりか、学校は当然真っ暗でだれも居そうになく、これはまずいと思っていた所へ私から連絡が行き、Kさんの家へすっ飛んでいった、という話。


息子が無事に帰宅できたことは本当によかった。
Kさんも「いくら大通りって言ったって、この時間に子供一人で歩くなんて・・・・」と苦笑い。
私は帰米してからKさんご一家に息子を連れてお礼を伝えに行き、その帰り道に助手席の息子に伝えた。

「本当に何事もなくてよかった。まぁどうしてここが、とツッコミたいところは沢山あるけれど、もっと突っ込みたいところはこっちね。ほら」

例の、満月の光の下で煌々と煌めいていたらしいステーキハウスの看板下を通った。

「ねぇ、この道まっすぐ行ったら、うちじゃない?なんで遠いKさんの家を選んだの?」

息子は えっ・・・・と絶句していた。


今や自ら運転をして学校に行くその息子は、どうやら地図を読むのが下手かもしれない、と最近私は確信している。
まぁ、失敗して少しずつ学んで行くなら、そして元気に育ってくれているなら、もう母として言うことはありませぬ。

(結局食べ物の話にはならない話でごめんね、かもめさん)
(ちなみに、そのステーキハウスは一度も入ったことはありません。)


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