人の言葉を伝える、とは
インタビューって楽しそうだけど、楽しいという言葉も良く聞くけれど・・・ちょっと構えてしまいます。お喋りならいいんだけどね。
自分の生き方として 相対する人の言葉を「フラットな気持ちで」聞くっていうのを自分に課しています。これ、決して簡単じゃないなあって、もう40年近く思っているんです。
元々は父に教わったこと。相手の言葉が苦言でも褒め言葉でも、言葉をそのまま受け取ること、その時の自分をフラットに保つこと、と。
相手に怒られるとき(そして反論のあるとき)なんて、ホントにグッと下っ腹に力をいれないとフラットになれません。でもフラットになって聞くと、
「あ、すごく大事なコト教えてくれてる」
ってことが本当に多いんですよ。もちろん、それで理不尽だったらめっちゃ、コテンパンにしますけどww
こちらの記事を読んでふむふむ、と思いました。特にHigashiさんのこの言葉。
僕が話した言葉は僕の口から出て行った時点で、主観的に正解と推定される「僕の言葉」とイコールにはほぼなり得ない
ああ、そうだよね・・・どんなにフラットを心がけても、やっぱりそれはイコールではない。
インタビューって難しい訳ですよ。聞き手(ライター)はフラットにならねばならないけど、ある程度ご本人に「なりきって」ちゃんと相手の意図を汲まなければならないのでしょう?
私のオットは時々インタビューを受けたりするんですが、彼はインタビュー受けるのがあまり好きではありません。忙しいのもありますが、ライターの「思い込み」や「こういう話にしたい」が先に見えると、そんなもん自分で書け、と怒ってインタビュー依頼を受けません。(ひえぇぇぇ、難しいコワイ人。)
でもね。双方が、どの言葉にも「遊び」みたいな不確定要素があることを知らないとなぁとは思います。
そんな遊びが生じるところであっても「通じる」瞬間があって、共有する空気があって、言葉になっていないけれど「ああ、わかる」ってときがあって、きっとインタビューってそういうのが面白いのではないだろうか、とおもってはいます。
・・・いやね、【#分岐点話 〜選択のあとで】のインタビューを前に緊張してるんですよww シェアして下さった思い出を、書き切れなかったディテールを、上手く引き出せるかなぁって。だってそれぞれのヒトの宝物みたいなものですから。
さて、どうなることやら。1回目はAzusa Sugaさんゲストです。Azusaさんの記事はこちら。公開インタビューをその場で一緒に聞きたい方は、一番下のりんくからお願いします。