見出し画像

雪の日に思い出す

雪が時々降ったり積もったりする街に住むようになって18年くらい。
自分が選んだわけではないのだけれど、冬と雪の好きな自分がこういう場所に住んでいるのを不思議だなと思う。
あ、「冬と雪が好き」と言っても「雪かき」が好きなわけではない。決して。

天気予報に雪マークが2−3日続けて出るときは家の中で大人しくすると決めている。君子危うきに近寄らず。雪の降り始めとか自分が気をつけていても周りが信用ならないからね。

雪の日は静かだ。この静けさだけは体験しないと分からないかもしれないが、音は降る雪に吸い込まれていくようだ。そして夜だというのに街の明かりを映してなのか、雪雲の晴れない空はぼんやり明るい。クリスマスの飾り付けがあちこちにある今はなおさら。


窓のそとで雨樋のなかをおちる雫の音がする。
でも他は殆ど音が無くて、本を読んでいると頁を繰る音だけじゃなく紙の上ですべる自分の指先の音とか、私の周りに集まって寝る猫たちの寝息が規則正しく静かなリズムで微かに聞こえてくる。

雪かきだとか雪かきだとか汚れてしまう車だとか雪かきだとか、面倒なことは沢山ある。それでもいつも空から舞い降りる雪を見るのは大好きだし、どんなときでも美しいと思う。積もらず解けるときも、気付いたらうっすらと積もり始める景色も、あるいは翌朝の雪かきのための早起き時間を計算しなければいけない様な雪でも、美しさにうっとりするのは変わらない。


ずっとずっと以前、小学生くらいのとき行った雪国の宿で、夜中に静けさに目が醒めたことがある。部屋の雪見窓を冷気が入りすぎないよう薄く開けて見た先には田んぼの上に厚く積もった白雪がどこまでも続いていて、月明かりにぼぅっと世界が明るく見えた。光は雪の中から差しているかのようで、遠くの濃い灰色の山の端はほんの僅かに輝く線で縁取られ、雪の降っていた昼間はただ薄暗い冬の農地の景色だとおもったのに、布団から忍び出て見た真夜中のそのときは 無垢な打ち掛けを羽織った花嫁のような静かな輝きと誇らしそうな佇まいがあって息をのんだ。鼻先が冷たくて痛くなるまで見ていた。遠くの雑木林の方に歩いている狐らしき影が消えていくのをただ目で追って、見えなくなった頃に向こうからその狐がこちらを伺っているような気がしてやっと雪見窓を閉めた。
あのとき思ったのだ、雪を見ていられる場所にいつか住みたいなぁと。

願ったことは大抵いつの間にか叶うものなんだな、と、雪の夜には思い出す。それはとてもささやかでなんと言うことのない願いで成功とか成果とかを求められる世界では価値を見出されにくいであろう願いなんだけれど、今こうして年に何度かこの美しい世界を見る幸運を得ている、しかも家のなかは暖かくて小さい生き物もただ寝息を立てているとか、どれだけ幸せな願いを叶えて貰ったんだろう。


アメリカでは年をとったら暖かい土地に引っ越して暮らすというひとが結構多いようだ、私はそうしたいと思ったことはないのだけれど。やっぱり冬は冬でこの美しさを愛でたいと思う。
雪のある場所に暮らすというのは、やっぱり幸せなんじゃないかなと思うので。


サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。