ガンダムに学ぶ
先日、「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) RE:0096」を見ました。
たまたまYouTubeで本郷奏多くんのこちらの動画を見つけて、予備知識がしっかり入ったので、改めて見てみようと。
なんだかんだで見るのは3回目くらいですが、今回が一番感じさせられることが多かったかもしれません。
ガンダムシリーズは夫の影響で見始めたのですが、はじめは、ロボットの戦いなんて興味ないし、ずーっと戦ってるし、何が面白いんだ、と思っていました。
でも、戦っているのはロボットでも、それを扱っているのは人間で、戦い続けているのは、人間なのです。
見ているうちに、描かれる人間ドラマが、現実世界と重なり、妙にリアルで、納得させられたり考えさせられたりして、面白くて、気づいたらまんまとはまっていました。
現実の世界でも、人間は、ずーっと戦い続けています。
「戦争というものは一部の人間が起こすもの」
末端にいる人間として、私は、ずいぶん長い間そう考えてきました。
でも、この世界の現実って、ひとりひとりの心の反映なんだよなあ、と、今はそう思っています。
物語では、ラプラスの箱というものをめぐって、多くの人の命をかけた戦いが繰り広げられるわけなのですが、いざ箱の秘密を知ってしまえば、
「たったそれだけのことで…」
というものに過ぎず、人間の心の複雑さについて、うーん、と考えさせられるのです。
どうしたら人間は戦いを終えることができるのか。
ネタバレになりますが、フルフロンタルの最期のシーン、私は、あのシーンがその答えでもあるような気がしています。
ラストは、現実世界と精神世界がごっちゃになって描かれているような感じで、アニメだからこそ表現できることではありますが、現実でも、ありえなさそうで、すごくありえる話だと思って見ていました。
「それでも」
と前を向く、バナージの心の熱によって、自らを「人の総意の器」と呼んでいたフルフロンタルは消滅(浄化)します。
戦いを始める人も、巻き込まれる人も、そもそもは、みんな、心に傷を負ったところから始まっています。
きっかけは、ほんの小さな傷だったとしても、痛みと痛みが響き合い、増幅し、拡散されていけば、あっという間に、地球をも宇宙をも覆いつくす。
ずーっと戦っているガンダムシリーズも、ずーっと戦っているこの世界も、その歴史をもって、そうしたことを伝えてくれています。
ひとりひとりが、それぞれの心の痛みと和解できていたら、結果は違ったのだろうか。
痛みが世界を覆いつくすのがあっという間なら、逆のパターンもあるはずなのになあ。
そういえば先日、夫が「まだまだ器が小さいなあ」と、つぶやいたことがありました。
それを聞いて、私は「器が小さいわけじゃないよ、癒されてないだけだよ」と言いました。
なんとなく口をついて出た言葉だったのですが、ガンダムUCを見た後だったからかもしれません。
器のように思えるのは、心が痛みに囚われているからで。
それが癒されて、囚われているものがなくなったら、器なんて本当はなかったのだ、と、気づくのだろうなあ。
フルフロンタルのように。