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お茶会にて

先日、お茶会をしてきました。

お相手は、私の半分の年齢の女の子なのですが、年に一度くらい、気まぐれに、お話したいです!と連絡をくれます。

元々は、夫が家庭教師をしていた時の教え子なのだけれど、高校生の時に進路相談にのったことがきっかけで親しくなり、以来、彼女とは定期的にお茶会をしています。

高校を卒業し、大学生となり、コロナ禍での就職活動を経て社会人となり、人生初の彼氏もできて、どんどん逞しく綺麗な女性になっていく彼女は、とてもかわいくてまぶしい。

年齢は倍も離れているけれど、会えばいつでも楽しくおしゃべりできる友達です。

いつも特に話したいことがあるわけでもなく、おしゃべりしたいからという理由だけで連絡をくれる彼女なのだけれど、今回は珍しく話したいことがあったようで。

ふんふん、と話を聞いて、2人できゃっきゃきゃっきゃしているうちに、めっちゃスッキリしました!と軽やかな笑顔になり、楽しくお開きとなりました。

大人になるにつれ、私たちは、あれこれといらん頭を働かせることばかり覚えていってしまいがちです。

深刻な顔をして、大人ぶって難解な問題に悩んでいるふりをしていても、実際、心の内では、子どものようにただ駄々をこねてすねているだけだったりします。

大人になった彼女と顔を合わせながらも、私が話しかけていたのは、彼女の心の内にいる子どもの彼女だったような気がします。

そんな私もまた、大人のふりをして、私の心の内にいる子どもの私で話をしていたりして。

お互い、子どもだね。
ほんと、そうですね。

問題を難しくしているのは、いつだって、屁理屈をこねまわす、大人のふりをした自分なのです。

心は、例外なく、永遠に子どもだ。

というのが当たり前になったら、世の中、もっと簡単に楽になるような気がするんだけどなあ。


お茶会についてはこちら。

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