満ちている
満足しかあり得ないんじゃないか。
ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。
数多ある言葉の中から、しっくりくる言葉を選んで、パズルのピースをひとつひとつ繋げていくように、言葉を繋いでみる。
私たちは「ひとつ」だから、ひとつである、という現象を、日々生きている。
昼があれば、夜があり。
暑さがあれば、寒さがあり。
軽さがあれば、重さがあり。
快があれば、不快があり。
そうしてバランスをとっている。
世界は、ひとつになろうとしている、のではなく、ひとつである、ということを表現し続けている。
あらゆる出来事は自分を知るために起こっている、のですらなく、そうした自然現象の中に分離意識である「私」がいて、そう意味づけているから、そう見えている。
現象は、ただ、在る。
「私」という分離意識に囚われていては、満ち足りることは、たぶん、永遠にない。
ひとつ、という現象を生きているのだと知ると、世界がぐるんとひっくり返って見えてくる。
どんな出来事にも、感謝できるポイントは、必ずある。
この出来事は、どういった視点からみれば、感謝できる出来事になるだろうか。
目の前の出来事を、そうした視点から眺めてみると、少しずつ心が満ちてくるのがわかる。
足らない、足らない、足らない、まだまだ足らない。
本当に、そうだろうか。
本当は、すでに満ち足りている。
分離意識は「足らない」と言い続ける。
なぜなら、そういう性質だから。
実際は満ち足りているのだけれど、足らない視点から観ているから、足らないものしか見えない。
良いも悪いもなく、ただ、そうだ、というだけ。
分離意識が囚われている枠をとっぱらって、「満ち足りてるよ」と声をかけてあげると、「本当だね」となる。
満ち足りている視点から観れば、満ち足りているものしか見えない。
引き寄せ、現象創造、パラレルシフト、といったようなものは、この自然現象を、分離意識と統合意識をない混ぜに、どのような視点から観て、どう使うか、を様々に表現しているだけ。
満足しかあり得ない。
そう考えると、流れに委ねる、ただ在ればいい、というのが、すっと腑に落ちる。