サブマリン 感想
2022年12月8(木)〜14日(水)
北千住BU°Y
マチルダアパルトマン
アパルトマンシリーズ第2弾
【サブマリン】
黄色いサブマリン
金子学 (晋平 恋人と同棲中)
冨岡英香 (遥 晋平の恋人)
梶川七海 (茜 遥の妹)
坂本七秋 (駅前のホームレス/遥と茜の父?)
小久音 (大家の娘)
青いサブマリン
竹内蓮 (晋平)
早松聖 (遥)
樋口双葉 (茜)
久間健裕 (駅前のホームレス/遥と茜の父?)
葛生大雅 (大家の息子)
マチルダアパルトマンのサブマリンを観てきたので感想をまとめ…ようと試みたけどまとまらなかった雑感と覚書
元銭湯をそのまま使ってる劇場ってどゆこと?と思ってたけど沈んでく潜水艦(息は出来るし普通に暮らせるけど閉塞感がある)との親和性がすごかった/「生活を覗き見るような演劇」と「サブマリン」がこんなに自然と繋がるんだ…/家族ってなに?家族になるってなに?/なんでこんなにすれ違うんだ!ともどかしく思うのはきっと他人事(客観)だから/私は貝になりたいなぁ…/具体的な不満がない生活は漠然とした不安に包まれているようで満たされる感覚とは程遠いけど裏を返せばその生活は安定しているんだろう
…これが初日のサブマリン観劇後、没入感そのままに勢いでメモした感想
以下、観劇後もしばらく余韻に浸ってたらいろいろ考えちゃって千秋楽後もサブマリンの世界から抜け出せなくなった私が頭と心を整理するために書いたもの。
沈んでる人/泳いでる人、見える人/見えない人、ずっといる人/突然いなくなる人、いなくてもずっと心にいるひと/傍にいてもずっと遠くに感じる人、過去に戻りたい人/未来に進みたい人...
「ありふれた日常」とはよく聞く表現だけど日常の中で何気なく考えること感じることは人それぞれ違って、そんなこと当たり前でしょと言いながらなんで分かんないのと不満に思うのもまた日常茶飯事で、ありふれてるからなんだ!私は気になるんだ!といちいち噛みついてたら全ての歯車が狂いそうだけどそれでも一番近くにいる人とはそういう些細なささくれみたいな違和感こそ共有したいのに...という煮え切らなさを鮮明に捉えた作品だと感じた。
煮え切ってないのに鮮明だから途中いつまで続くのこれ?ってなるんだけどそれもまた自分の(単調かつ少しずつ低迷していく気配だけを感じてる)日常と重なって、気が沈んで、あ...私いま沈んでる...サブマリン...って思ったり。
そういや潮時って悪い意味(中途半端なままでの終わり的な)で使われがちだけど本来はベストタイミング!って意味なんだよなあ〜なんてことをふと思い出したり。
例えば今が潮時だとしてそれは何をどうする為に適切な時なの?とまたぐるぐる考えたり。
このままいったら多分こうなっていくんだろうなと薄々感じてることに流されたい人と抗いたい人と狭間で動けなくなる人がいてそういう人たちは一緒にはいられないのかなとか
もっと強い流れがあれば変わるのかなとか
そんなことなかなか訪れないよなとか
それを平穏と呼ぶのかな呼んでいいのかなとか、
登場人物の感情や行動に共感してるというよりも登場人物たちが暮らしてる環境そのものに同調しながら観てた感覚。
同調してたからこそ見ていて息苦しくなる瞬間もあったけど、自分の心の揺らぎを人のせいにしてしまったり人生の大事な選択を他人に委ねてしまったり…そういう脆さや狡さも含めて「分かる」から不快ではなかった。なにが分かったのは感覚でしかなくて上手く言葉にならないけど「あ、この感じ、知ってる」って自分のことのように感じられる瞬間があって、曖昧さごと受け入れるその感覚こそがこの作品に同調する上で最も必要なことだった気さえして、分かる自分で良かったな...と思ったりした。
あの空間に漂い続けるもどかしさの正体に全くの無自覚でいられたらきっと私の日常ももう少し生きやすいんだろうけど、もしそんな私だったらサブマリンの世界に入り込めずに「何が言いたいんだ」「結局どうしたいんだ」で終わっていた気がする。実際の日常でもそんな言葉を吐くことがないように、生きにくくても気付ける人間でありたい。
ネタバレあり 後日談妄想あり
もどかしいったらないぜ晋平くん!と思ったとこまとめ
①彼女(遥)が話してる途中でスマホをいじる晋平
→知ろうとしてくれるのは嬉しいし分からないことを調べる姿勢は素晴らしいけど関心を持ってほしいのはそこじゃないぞ!
②結婚したいと思っているのに彼女から夜の誘いをされると引いちゃう晋平
→どういうこと?もしかしたら晋平からの誘いを遥が断り続けた過去があるのかもしれないしそういう行為自体好きじゃなくてただ一緒にいたい人なのかもしれないけど説明がないから、なんだ?女から誘うのはふしだらだとでも?と思ってしまった
③「この部屋は暗くて息苦しくて海の底の潜水艦みたい」と思いながらも「色々物件探して見たけど、この部屋よりいいなと思える物件…なかったんだよね」と話す遥の真意は「あなたがいるこの部屋が好きだったし『私が帰る家はここだ』と思っていた時が確かにあったよ」だと思うんだけどそれを言えない遥、察することのできない晋平、引き止めるチャンスはここだったのに!とヤキモキする私(突然の登場)
ここからは感想というより妄想に近い深読み
晋平はきっと自分のお店を出す夢は諦めるだろうから貯めてたお金で引っ越しもできるんだよな...
てかそこまで本気じゃなかった気がする。夢を抱いてる自分に酔ってたところ少なからずあると思う。
特別になりたいっていう平凡な夢を持って夢を追いかけること自体に安心感を覚えてたように見えた。創作料理に関しても普通じゃないことをしたいって欲が先走って余計なことしちゃうというか。居酒屋で働いてるときはマニュアル通りに美味しく作れてたんだろうしめちゃくちゃ味音痴ってわけではなさそう。
遥にとって東京にいる理由が晋平だったように、夢を失った晋平が遥の地元に行く未来もあり得そる気がする。自分がそこにいる理由や目的があれば晋平はまっすぐ真面目に取り組んで順応していく人だと思うし。この可能性が残ってるところが唯一の救いかもしれない。
遥も完全に気持ちが冷めたわけじゃないのは前述の「この部屋よりいいなと思える物件…なかったんだよね」って発言でわかる。でも父親の愛を知らないから、父親という存在に裏切られてるから、結婚して家族になって父親になってく晋平がこわいのかも。父親という存在への渇望と拒絶、父からの愛に飢えてる自分と父親への恐怖心がごちゃ混ぜになってて、その気持ちが歪んだ形になって今最も身近な異性である晋平に向けられていたような…。ホームレスを家に招き入れたのも、実の父親だって確信がないからできたことで、結婚を諦める前に家族ごっこをしてみたかったのかもしれない。
父親扱いされてるホームレスが本物の父親かどうか作品中では明かされないけどなんとなく父親ではないんだろうなと感じた。遥も茜も口には出さないけど恐らくは遊園地に行ったときに「あ、違う」って察してて、晋平だけがずっと半信半疑。
それを裏付けてるのかはわからないけど遊園地行ったあとの茜、手の平返したように父親への関心を一気に失ってるんだよね。ちょっとこわいくらいに。「生きてても死んでてもなんとも思わない」と言ってた茜に戻ってる。そう考えると逆に何故父親(仮)が現れた時にあそこまで興奮したのか不思議だけど、茜は茜で父親がいない寂しさやコンプレックスを抱えながら生きてたであろうことは容易に想像できる。ちょっといじわるな見方をすると自分の人生をドラマチックにしたくて感動の再会を演じたのかも?とも思う。
序盤にあった姉妹の会話の"強力な磁石"のくだり要る?って毎回思ってたけど、なんかの比喩だったりするのかな。磁石事件がまだ父親がいた頃の話と仮定するなら、幼い頃の茜がいじわるなお父さんに仕返ししたくて隠し持ってたけど間違ってお姉ちゃんが被害にあった、とか?磁石でできる仕返しは不明だけどもまあ子供(5歳児)の考える事だし…という解釈もできなくはない。でも本当なんだったんだろう。劇中でもそれに対して「いつの何の話をしてんのさ」って言ってるから意図的に入れてる会話なのは確かなんだけど、肝心の意図がわからない。わかりたいなあ。
姉妹の会話と言えば一回、遥が茜に「あ゛あ?」って威嚇するように凄むシーンがあって、しかもそれがなんでそんなことにそんなに怒るの?ってこと(宅配ピザを注文しようとした遥に茜が「クーポンあるよ」と言っただけ)に対してだったから違和感がすごくて、観ているこっちが一瞬怯んでしまうくらい怖くて印象的だった。でもこっちの戸惑いをよそに茜は意に介してないというか慣れた感じで軽くあしらうから、きっと家族の前での遥はいつもああいう態度なんだと思ったし、もしかしたら父親の影響?父親は幼い遥と茜にああいう態度で接してた?と思わされた。
晋平にも再会した父親(仮)にも見せない、威圧的な遥の姿。あの姿を晋平に隠し続けている限り、家族 にはなれないのかもしれない。
そう思う一方で、もどかしいほどに優しくて鈍感な晋平が遥の真意に「気付いた」その瞬間に好転しそうでもあって、それがふたりの関係を本当の意味での 潮時 へと誘う引力になる気もする。
…と、ここまで書いて思った。私はこの話を、家族とはなにか(家族になる とは?家族でいる とは?家族じゃなくなる とは?)を描いてると思い込んでたけど、そうじゃなくて、これは 家を探してる男女 の話なのかもしれない。住む場所、帰る場所に求めるものや与えるものが違う男女の話。
家は潜水艦のように外界から閉ざされた空間で、そこに暮らす家族は一種の民族でもあって、それぞれに違う民族のふたりが外界で出会い想い合い共に暮らして家族になるには新しい家が必要で。
同じ家に暮らしているとその中だけで通じる特別な言語が生まれていくものだけど、晋平と遥の会話は上手く意図が通じないことが多かったのは一緒に住める家だけがあって「この家の中だけで使える、ふたり共通の言語」は持てていないから、だったのかも。遥はそれを持ちたかったけど、晋平は外界(或いは実家)と同じ言語で話せばいいと思っていたように見えた。
最初から最後まで空間全体に漂い続けたもどかしさの正体はここにあるのかもしれない。
…物語の感想を書くだけでこの長文。
キャスト陣の演技で好きだったところも書きたかったけど、長く語りすぎたのでそれはまたの機会に。って言っちゃうと書かないんだよなぁ。ひとまずこれが私なりのサブマリン備忘録です。
とにもかくにも観に行ってよかったです。
叶うなら映像化してほしいですね。何度でも観たいし、繰り返し思考の海へ沈みたくなる作品です。
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