YMOを探して。07年07月07日、京都で
YMOを探して。
07年07月07日、京都で
14年ぶりに復活したイエロー・マジック・オーケストラのライヴに臨む
TEXT:飯野賢治 写真:平間至
「YMO様」と書かれた紙が、楽屋入口の隊子の柱にピンで止められている。ライブアースの京都会場。地球温暖化防止を訴える世界9都市で開催されるコンサートに YMOが参加し、その楽屋の前に僕は立っている。14年ぶりのステージ。YMO という名義でのコンサートが1時間半後には始まろうとしていた。京都会場となった東寺の金堂前に設けられたステージから離れると、辺りは急に暗く静まり、開演を待つ観客のざわめき〜熱気の渦が途切れたあたりに、楽屋のある建物はあった。いわゆる日本家屋である、その建物の内部は複雑で、長い木の廊下を渡り、他の出演アーティストの楽屋を抜けたー
番奥に、YMOがYMOになるための部屋があった。「YMO様」
ーーという文字が僕の足を止める。この藤子の向こうが聖域に思える。前々日までは雨と予報されていただけあり、湿度が高い。僕の中のいろいろな感情が染みだして、じっとりと身体にまとわりついている。なかなか手が伸ばせない。足が踏み出せない。目の前の際子1枚を開けることによって14年の歳月、いや、僕がYMOに初めて会った子どもの頃までの時間が、一気に縮まってしまうように思えてしまう。
後はYMOに出会って人生が変わった。それまでの人生は、ただ普通に小学校に通っていた子どもだったから、変わったというより、YMOに出会ってから人生が動いた、という表現のほうが正しいだろう。YMOに出会ったおかげで、後はパソコンを使うようになった。手では弾くことのできない正確で速いフレーズに、小学生の僕は取り憑かれ、自分でもやってみたくてパソコンを買った。シンセサイザーは当時、とても手が出るような値段ではなかったからだ。やがて、音楽目的で買ったパソコンで、ゲームをプログラミングするようになり、その結果、ゲームクリエイターになった。坂本龍一さんは後を人に紹介するとき、「飯野くんは、小学校のとき、プログラムコンテストで受賞したんだよ」と伝えるときがある。いつも照れながら「そのきっかけは、あなただよ」と心でいている。なんだか、親に子どもの紹介をされているような気分だが、文字通りのYMO チルドレンなので、くすぐったいながらも、とても光栄に思う。障子の向こう側で小学生の僕が「よかったね!
大人になった僕」と笑いながら待っているような気がした。
意を決して障子を開けたが、そこにはYMOはいなかった。まだ会場に到着していないと伝えられる。「YMO様」と書かれた部屋で、YMOではない僕がYMO を待つ。いまも不思議に思うことだが、突然、大きな気配を感じ、立ち上がって廊下に顔を出すと、3人がやってきた。
坂本さんが僕のいる部屋に入ってくる。言葉を探す。いつになく緊張する。「こんにちはYMO」と言ってみたいなあ、などと思っていると、坂
続きはdictionary 117で、
dictionary No. 117
COVER
model/ niu (EGOISTE!)
Photograph/平間 至
Hair & makeup/小西神士(kiki inc.)
Art direction & design/草野 南
王冠制作/ナカノ綾乃
イエロー・マジック・オーケストラ特集
Art direction & design/草野 剛(草野剛デザイン事務所)
Photograph/平間 至 杉田知洋江(P18-23)山田陽子(P7-10)
Text/ 飯野賢治 小野島大 吉村栄一
YMO特集117号