見出し画像

20210529 さずけの理(2021年5月29日の大教会での朝席にて)

大元の原稿は以下の本から抜粋しています。

天理教会長もいちゃんのお話(2020年6月〜2021年12月) | もいちゃん | 宗教入門 | Kindleストア | Amazon

******************************************
本日は、さずけの理について、私の体験をお話をしたいと思います。(かしわ手)

私は4年前の2016年の12月21日にお授けを拝戴し、3年前の2017年の10月、11月、12月の3ヶ月間918期の修養科に行かせて戴きました。

私には鹿児島に30代の女性の従妹がいるのですが、彼女は筋肉が硬直して動けなくなるジストニアという難病に罹っています。

私は修養科に行くときに、無事に修了したら、真っ先に彼女におさずけを取り次がせて頂こうと心定めをしていました。

無事に修養科を修了し、その週の内に叔母宅にいる彼女の許可を得て鹿児島に行き、彼女に朝昼晩の1日3回を3日間続けておさずけを取り次がせて頂きました。

最初、彼女は、歩行器を使ってやっと歩ける状態でした。しかし、初日、二日目、三日目とおさずけを取り次がせて戴くうちに、
本人が
『なんか体の調子がいい』
といいだしました。

3日目にはなんと歩行器なしで歩けるようになったのです。

3日目のおさずけも終わり、地元に帰る為に、鹿児島中央駅に向かった時に彼女も車で一緒に見送りにきてくれました。

駐車場から改札口に行くまでの間に彼女も一緒に歩行器無しで歩いて来てくれて、
『御守護だねぇ』
と話していたのですが、
彼女が急に動き出して、
『みてみて~走れる~!!』
と言って私の廻りを走りだしました。

私は目がテンになりました。

地元の教会に帰ったら、早速神様に御礼を申し上げましたが、後で解ったことですが、お薬の副作用で10数年間なかった生理が普通に始まったとのことで本人はとても喜んでいたそうです。

修養科にいる時にゆうづとめの際に読む皆さんもご存知の『心のふしん』という冊子があります。この中で神様の言葉として、以下のような一節があります。

『日々を通してもらうには、人の悪しきを言わぬよう、人の悪しきを思わぬよう、人に悪しきを思わせぬよう、この三つの心がけが大事やで。この心がけ一日に一回使うても、三日の間さずけの理は止まるで。

私は修養科にいる間は、ほこりを一切積まなかった訳ではありませんが、
朝夕のおつとめで毎日心に積もったほこりを払えるように、
『あしきをはろうて』
とずっと唱えていましたので、
おつとめをすることによって悪しきを払えていたのではないかと思います。そうでなければ、あれだけの御守護は頂けなったと思っています。

ただ、その後、地元と鹿児島と地理的に遠いこともあって彼女におさずけには行けておらず、親神様の御取次ができておりません。

この為、彼女の病状も昔の状態に戻りつつあるような状態でした。

昨年の11月にコロナが一旦収束していたので、久し方ぶりに御本部へ参拝ができました。

その際に、彼女の病気の回復を願って神殿でお願いづとめをさせていただきました。

その足で、九州に戻ってきて、鹿児島の彼女の元に行き、久し方ぶりにおさずけの取次をさせて戴きました。

その時の彼女は、クビの筋肉が硬直していて、顔がずっと左を向いたままで、クビが全く右を向けない状態でした。

おさずけを取り次がせて頂いた後、彼女の右側に座って何気に彼女と話をしていた所、彼女も私の顔を見ながら話しをしていました。

『あれ?右向いてない?』
と彼女に言ったところ、
彼女も
『あれ?クビが右向ける?あれ?』
と驚いていました。

病院に行って注射を打っても右に動かなかったクビが1回のおさずけをした直後に右に動くようになっていたのです。

私自身、
『あれ?』
と思ったのですが、
やはり、
『ぢばの理』
を戴いた上で、おさずけをさせていただくと、神様の御守護はかならずあるんだなと改めて思い直させてもらいました。

親神様の求められる8つのほこりのない、清いこころづかいで日々過ごし、ホコリをつんだとしても、おつとめで、ほこりを払い、更にぢばの理をいただいたならば、自由の御守護をいただけるのだなぁと改めて思わせていただける体験でした。

最後になりますが、彼女に限らずこれからも多くの人に人助けができるような心づかいで私自身も日々通らさせて戴きたいと思っております。

以上つたない話ではございましたが、御清聴ありがとうございました。(かしわ手)

いいなと思ったら応援しよう!