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雨に名前をつける
雨に名前をつける
雨が好きなどと言うと、偽善者と思われるだろうか。
雨を好む人は、実際いないわけではない。滑りやすい足場で作業するひとは、危険だからという意味でその日仕事が休みになるかもしれない。休みはよいものだ。平日の昼下がり、近所の町中華で炒飯に餃子、それにビールなど注文して「ああ、雨はいいなァ」などとつぶやくのではないか。
だが、そのひとは実際のところは雨が好きなわけではなく、雨が降ることによってもたらされた恩恵を好んでいるにすぎない。いや、たしかに恩恵もまた「雨」のうちと言えるかもしれないが、その立ち位置はいたって受け身だ。長く乾燥した日々が続き、作物を心配する農夫の心境とその意味で変わらない。「雨はいいなァ」などとつぶやくことはあっても、雨が降り続けばそれはそれで困るのだ。
そう考えると、雨が好きと口にするためには多少なりともロマンティシズムを必要とするかもしれない。
まあ、たとえばの話だが、初めてのデートで突然の雨に降られてびしょ濡れになった恋人たち、とか。それがきっかけでふたりの距離が縮まったとして、それもまた雨がたまたまもたらした恩恵にすぎないにせよ、その後のふたりの人生が重ね合わされることで「雨」そのものが好ましく感じられるといったことはありそうだ。
そして、そんなふうに「雨」が好ましく描かれた例として、ぼくはウディ・アレンの『マンハッタン』という映画を思い出す。
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セントラルパークを散策中、通り雨に遭ったエール(ウディ・アレン)とメリー(ダイアン・キートン)は、たまたま近くにあった博物館に駆け込む。はじめはかならずしもメリーに対して良い感情を抱いていなかったエールだが、弾む会話のなかで心が急速に惹かれてゆくさまが、突然の雨からの博物館のジオラマ、さらにプラネタリウムへと続く一連のシーンでじつに巧みに描かれる。さすがは厨二病。キモいぞ!ウディ・アレン(褒めてる)。
まだ観ていないものの、ウディ・アレンの近作には『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』なる作品もあり、「雨」が自身の芸術にとって欠くべからざる存在であることが窺われる。
同様に、雨を印象的に描くことに長けた作家として思い浮かぶのは永井荷風である。ここぞという場面で、もっとも効果的と思われるやり方で自在に「雨」を降らすことができるのは、なにより荷風が「雨」の本質を深く理解しているからにちがいない。
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