今週の日記|お店の人生
なんどか触れているとおり、戦前の銀座にあった喫茶店「コロンバン」についてちょこちょこ調べています。いまも、主人とも交流のあった女優・長岡輝子の回想録を拾い読みしているところです。
お店は、ぼくに言わせればひとりの人間と同じです。ある時代を、ある場所で生きてやがては消えてゆくはかない命。そこでは大小さまざまな事件が起き、出会いがあり、また別れがあります。
けれども、とても残念なことに、人間と比べれば忘れ去られるのも早いのがお店の宿命といえるでしょう。そしてだからこそ、ひとりの人間の一生を振り返るようにお店の記憶もまたどこかに引き継ぎたいと考えるのです。
数少ない写真や文章の断片をもとに少しずつその相貌(ヴィサージュ)を立ち上がらせてゆく作業は、ときに考古学者、ときに歴史学者、ときに推理作家のようで、また複雑なクロスワードパズルのようでもあります。
いつ、どこに、どんな姿でそのお店は佇んでいたのか? 主人はどんな人物でどんなメニューが供され、またどんな客たちが集っていたのか? そこではどんな会話が交わされ、どんな事件が起きたのか?
少しずつ肉付けがほどこされ、血が通うにつれ、お店もまた饒舌にみずからを語ってくれるようになります。まるで、ジャック・フィニィの小説『ふりだしに戻る』のように、その時代、場所の匂いやざわめきを生々しく感じさせてくれるようになるのです。
そう考えると、自分にとっての「お店」というものの位置づけがよりはっきりしてくるように思われます。「お店」とは、ときに憧れの存在、ときに懐かしい先達、そしてなにより「友人」のようなものなのだと。
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