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今週の日記|不便益

11月1日 “便利でない”を選ぶ意味

このあいだ、テレビで「不便益」ということばを知った。「不便益」とはつまり、不便であることに意味がある不便さがかえって役に立っている状態を指して言う。

仮に、便利であることが「正義」なら、ひとはどうして富士山にエスカレーターを作ろうとしないのか? この「不便益」という概念を提唱する京都先端科学大学の川上浩司教授は、そのように問いかける。

答えはかんたんで、べつに富士山に対してひとは「便利さ」を求めていないからだ。富士山は、苦しい思いをしながら登頂を果たしてこそ意味がある。多くのひとは、たぶんそう考えているのではないか。

同じように、フィンランド人の多くが「別荘」を所有していると聞くと、なにやら自然あふれる場所で“快適な”休暇を過ごしている姿が思い出されるかもしれない。しかし、実際のところは電気やガスはもちろん、水道もなかったりとおよそ都会暮らしの“快適さ”とは程遠い生活だったりする。薪を割ったり、水を貯めたり、晩ごはんのための魚を釣ったりと、フィンランド人の別荘ライフはずいぶんとハードで忙しいものらしい。

というのも、フィンランド人にとって「別荘」とは、できるだけ自然に近い暮らしをすることで日常生活のストレスから解放される場だからであり、その意味では、マインドフルネスのためにあえて不便であることを選んでいるのがフィンランド人の別荘ライフといえるだろう。

先に挙げた番組の中では、あえて園庭を整地せず凸凹にすることで園児の体幹が自然と鍛えられるようにしている幼稚園の事例なども紹介されていて、そう思うと、むしろ便利さによって人間が知らず知らずのうちに犠牲にしてしまっているものは少なくないのかもしれない。

かならずしも「便利さ」の追求ばかりが近代以降の科学にとって錦の御旗ではないということを、科学の世界の「中のひと」が言い始めているというのはとても面白く、科学者にもこうした複眼思考をもったひとがいるのだなあと心強く感じたりもした。

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