塩田千春展
自己と向き合うことは痛みと向き合うこと。受け入れたくない現実を見つめることは、息ができなくなるほど苦しい。だけど、小さな希望を頼りに毎日を生きていく。
久しぶりにこんなに感情移入してしまう展示に行った。
私は今夏、祖父を亡くした。初めて家族を失い、この歳になって初めて"死"というものと向き合った。宗教、信仰や祈ることについても沢山考えた。そしてたまに、自分は死後どこに行くのだろう、ということも考えるようになった。答えは誰も知らない。でも、塩田さんの
「消滅するのではなく、より広大なものへと溶け込んで行く」
という言葉を読んで、そうかもなぁと思った。そうだったら生も死も怖くないかも。
この展覧会では、塩田さんの過去25年分の作品が並んでいる。大学生時代の作品も写真で見ることができ、その時には既に糸と自身の身体を使ったインスタレーションを行なっていた。
塩田さんは9歳の頃、隣の家が火事になり、翌日に焼けたピアノがポツンと外に置いてあったそう。私は3歳の頃に隣の家が燃えた。庭に出て祖母と手を繋いでその様子を見ていたけど、火事の恐ろしさを幼いながらに感じていた。人生の中で1番古い記憶だと思う。
この展示室には焼けたピアノの他に椅子もあった。幼い頃の怖かった記憶を思い出して少し気分が落ち込んだが、もう鳴らない、使い物にならないからこそ見える美しさ、朽ちていく物の美しさを感じ取ることができた。
1番心が動かされたのはこの「外在化された身体」という作品。天井からは牛皮が吊り下がり、床にはバラバラになった身体が散乱している。心と身体のバランスが上手く取れていなかった時の孤独感、行き場のない感情。それに反して身体は活発に動こうとしたり、全く動かなかったりする。自分が自分じゃないような感覚に陥っていた時、まさに「外在化」されていたなと思った。
映像作品で、ドイツの小学生達に「魂(ゼーレ)って何だと思う?動物や植物にも魂はあるのかな?もし人が亡くなったらその魂もいなくなっちゃうのかな?」と聞くものがあった。個人の信仰に基づいた回答をしている子が多い印象を受けた。やはり、生や死を語る時に"信仰"や"信条"は切っても切り離せないものなんだろうな。
この展覧会では、塩田さんの過去25年分の作品が並んでいる。2年前に森美から展覧会の依頼が来たそうだが、その翌日に病院で12年前のガンが再発したことを告げられたという。まさに、死と寄り添いながら作り上げた展覧会である。
作品を見ていると、私個人の経験や記憶が蘇ってきてしまい、途中でとても苦しくなった。蜘蛛の糸に絡まって身動きが取れなくなり、その状態で針でチクチク刺されているような感覚に陥った。こんなに心が動かされた展覧会は初めてだった。行って良かった。
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