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002.オタクをやめたら人生が豊かになった話①
とても恥ずかしいですが、己の愚行を赤裸々に綴っております。
少しでも、身の丈に合わない過度なオタ活の重圧から抜け出したい人の励みになるように。
今からちょうど1年半ほど前、私はオタクから卒業した。
日々の供給で人生が潤い、”オタ活たのしい!毎日が輝いてる!人生って素晴らしい!"と本気で思っていた。
元からオタク気質な節があり、様々な経験をさせようと両親は私が小さいころから様々なアーティストのライブやイベントへ連れて行ってくれた。中学生のころから本格的にバンドにはまり、ライブへ足を運んだ。他にもアニメや漫画が好きで、CLAMP作品と矢沢あい作品には特に強い思い入れがある。
高校卒業と同時に田舎の地元を離れ、上京。日々バイトに勤しみながら、当時好きだった様々なバンドのライブへ参戦した。もちろん貯金なんかはしていない。バイト代は全てライブのチケット代とグッズ代へと消費されていく。華の大学生ともあれば飲み会も頻繁に行われ、洋服やコスメなど自分磨きにもお金をかけていた。
親からは家賃5万円と食費として3万円の仕送りがあり、その他をアルバイト代と貯金(親がお年玉などを貯めてくれていた)で賄っていた。元々貯金ができない私は、我慢という言葉を知らず、有り金全て使っていた。
大学4年生のころ、初めて配信者グループにはまった。彼らの配信はバンドと違い、比較的お金をかけずに楽しむこともできるが、根っからのオタク気質の私は、投げ銭やグッズ購入、ライブなど
どっぷりとお金と時間を費やした。若干、他のファンへのマウントのような気持ちもあったと思う。
そのころ、推しの配信者グループを通じてA子と出会った。彼女は私と同い年で実家済み、最寄り駅や仕事については教えてくれなかったが、高校や前職、家庭環境などの話はたまにしてくれた。彼女が実家済みということもあり、最初のころは数か月に1度、仲が深まるにつれて週に1度、私の家に泊まりに来ては、毎週一緒にオタ活をした。
A子は元もかわいいが、メイクをするとさらにかわいくなり、洋服はSwankissやEATMEあたりのキラキラお姉さん系を着ており、まさしくSNSによくいるキラキラオタクだ。私も当時は自分なりにメイクをしてかわいい洋服を着ていたついもりだったが、A子の横に並ぶと芋臭さが抜けきれない、絶妙にダサい女だった。
A子と仲良くなるうちに、A子はメイクの勉強に力を入れており、美容系YouTuberの動画を見ながら1時間以上かけてメイクをしていることを知った。私も同じように勉強し、パーソナルカラー診断を受けて
少しずつキラキラオタク女子に近づいていった。
そのころ、社会人に上がった私はとある危機に直面していた。
そう、お金がないのだ。
私が入社した会社は給料が低く、社会人に上がってからは仕送りがなくなったため、生活すべてを自分で稼いだお金で工面しなければいけなくなった。こんあにも悲観的に書いてはいるが、十分恵まれた境遇である。
(これは後から気が付いたのだが、給料は平均より若干良いくらいで、生活に困るほどではなかった。)
貯金なんて知らない私は、過去に親が貯めてくれていたお金に手を付けながら、極力我慢をしないオタ活を続けていた。当時コロナ渦真っ只中ということもあり、毎日のご飯はUberEats、推しの誕生日や記念日には高額の投げ銭…。いや本当に、今振り返るとすごく見栄っ張りでアホだなと思わず笑ってしまうのだが、当時はその愚かさに気が付かず、カードの支払いに間に合うようお金をかき集めるのに必死だった。
実家暮らしのA子は家にお金を入れていないのかお金に余裕があるようで、毎度異なるかわいい洋服を着ていて羨ましかった。私はそんな余裕が無いので、基本的に後払いの通販サイトかフリマサイトで購入。身の丈に合わない服を着て、並行輸入品のブランドバッグを持ち、なんとか同じ土俵に立とうともがいた。
そんなA子は若干お金にルーズなところがあり、私の家でUberしたご飯代を払わなかったり、建て替えていたお金を催促しないと返してくれないことが時々あった。私もチケット代や外食時にA子に建て替えてもらうこともあったが、次会った時にすぐ返していたので、少しづつモヤモヤが募っていった。
元々配信者グループを通じて知り合ったが、その後とある漫画に2人でハマり、オタ活はさらにヒートアップしていった。コラボカフェ、展覧会、ランダムグッズの大量購入、コスプレ…。2か月先までA子とのオタ活で予定が埋まり、楽しい反面だんだんと金銭面や将来への不安も増していった。
今となれば私が「お金がないので行けない」ときっぱり断ればよかったのだが、やはりオタ活中はアドレナリンやらドーパミンやらが大放出しており、どうしたってやめられないのだ。
そんな私がオタ活をやめる決意をしたのは、昨年の6月である。
オタクをやめたら人生が豊かになった話 ~続~